月の裏側

行き場を無くした思考の末路

黄昏の君、鈍色の線


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「がっかりするんだよ。いざってときに歌えないと」
「周りのみんなもがっかりさせちゃうし、何より自分にがっかりする」
「そういうの、もう嫌なの!」

星に手を伸ばし、届かなかった者。
いずれその星を越えるであろう、まだ何者でもない人間が産声を上げる。

敗北し、喪失したまま現実を生きなくてはいけない痛苦の中で。
日が沈み切る前に。昼が夜へと切り替わる前に。
堰を切ったように溢れたそれは、自分への失望で窒息し続けていた人間の発する"産声"だった。

(「ラブライブ !スーパースター!! #01 まだ名もないキモチ」感想)

転落

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「歌で、みんなを笑顔にすることです!」

希望に溢れた夢見る台詞に被せられるのは、青ざめた試験会場の冷たい景色。
控えめに言っても性格が悪い。ここまでテンポ良く転落させなくても良いだろうに。
思わずそんな同情が浮かんでしまう程度には、開始直後の展開はテンポが良かった。残酷なくらいに。
ほんの数秒で夢は現実に砕かれ、ほんの数分で擦れた様子の澁谷かのんが映される。

試験に落ちた、という明確な敗北。
しかも高校受験となれば、もう取り返しはつかない。
二度と取り返せない喪失。よりによって歌えるはずの、大好きな歌のせいで。
そんな傷を負って、今まで通りでいられる筈はない。
数分前までキラキラした顔で夢を語っていた少女は、すっかり平日朝の社会人よろしくやさぐれていた。
とはいえ、家族への挨拶はするし、音楽科に合格した友人に話しかけられても空気を壊さないように受け応える。
この程度のやさぐれ方で収まっているところから、彼女の根にある善良さが伺える。
普通、深い傷を負った人間はもっと身勝手になるか無興味になるものだ。
この、擦れているけど擦り切れていない、くらいのバランスはとても人間らしくて好ましい。

「似合ってるわよ、制服」

この母親の言葉はおそらく、なんの悪意もない。
同じく、音楽科に合格した友人の歌が好きだったという旨の言葉も、悪意はない。
傷を抱えている人間はこうして、悪意のない刃物を受け流しつつ生きていかなければならない。
明るく、あくまで必要な描写として、そんな辛さが描かれる。
心に傷を負った人間の気持ちを理解する人間は、案外少ないものだ。

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故に彼女は耳を塞ぐ。
少しでも傷が痛まないように。
耳に被せた聴覚の檻、その内側でひとり歌う。

暴威

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唐可可の熱意と行動力は、荒々しいと表現して差し支えない。
どちらかと言えばμ'sやAqoursの物語において主人公となっていたタイプの"巻き込む人間"。それを巻き込まれる側から見るとこんな風に見える訳だ。
そこに言語の壁が加わることによって、より一層澁谷かのんと唐可可の間にある温度差が強調される。
直接セリフで語られるように、見ず知らずの人間から一方的にぶつけられる好意や熱意は、時として暴力的で「怖い」ものだ。

これまでのシリーズで基本的に「良いもの」として描かれがちだった、善意や熱意の暴力的な側面。
視点が変わることで、それがはっきり描かれているのはとても良いことだと思った。
これは大いに自戒を込めて書くのだが、善意や前向きさを盲信した結果、それが巨大な暴力として相手を傷付けている状況は頻繁に見る。
今強行されようとしている東京五輪などは好例だろう。
前向きな言葉で飾り立て、警告する声も批判する声も押し潰して前に進んでしまう。
善意や前向きさには負の側面があるということを認識していないと、善意からくる暴力をやってしまうし、そんな暴力を受けたとしても気付けない。

今まさに青春を送っているような若年層がメインターゲットとなっている作品で、善意や熱意を「怖い」と表現する場面が入ることの意義は大きい。
また、後ほど事情を知った唐可可が謝罪をするシーンが入る点も良い。
誰もが良かれと思って善意を振るい、無意識のうちに足を踏む。
だからこそ、それに気付いたときにきちんとその非を認め、謝罪することが大切。
1話にして凄まじい教育的効果である。やはり汚点塗れの東京五輪は中止にし、ラブライブ !スーパースター!!を継続して放映した方が社会的に見ても益になると確信せざるを得ない。

また、そんな暴力的とすら感じる熱意と勢いの唐可可に対し、嵐千砂都の接し方は(心に傷を負った経験のある人間目線では)理想的なそれに見えた。
普通に話しかけるし、歌の話もする。

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「私はかのんちゃんの歌、聴いていたいけどな」

と自分の主張はしつつも、様子を見て話題を切り替えつつ一旦距離を置く。
腫れ物扱いをする訳ではなく、かと言って無遠慮に踏み込む訳でもない。
適度な距離感で友人としてそこにいてくれる存在。
澁谷かのんが擦り切れずに善良でいる要因の一つは、もしかすると彼女なのかも知れない。

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てかなんの前触れもなく繰り出すその破茶滅茶に可愛いジェスチャーは何?
流石にキレそう…………(喜怒哀楽の"怒"しか残らなかった怪物)


閑話休題

ここまでつらつらと善意の持つ暴力性を語ったが、私がかつてある作品を見て泥の底から引き上げられた時のように、時として暴力的な善意は必要となる。
身勝手で、乱暴で、強引な善意。
それでなければ掬い上げられないものも、突破できないものもある。
終盤に発された"産声"は、唐可可の半ば暴力的な善意がなければ決して発されることはなかっただろう。
要は時と場合による、という話だ。

ホワイトカラー

既知の通り、結ヶ丘女子高等学校には音楽科と普通科がある。
示唆的だと感じるのは、科によって制服が違うことだ。
白と紺。少しこじ付けるなら、白と青ーーホワイトカラーとブルーカラーを想起させるような"色分け"が、この高校ではされている。

簡単に言うなら、ホワイトカラーはワイシャツを着てオフィスで机に向かって仕事をする人を指し、ブルーカラーは作業着を着て現場で仕事をする人を指す。
単に働く場所が違うだけで平等、という訳ではない。
ホワイトカラーには中・下級管理者も含まれる。また、そもそも現場で仕事に従事する人は体力を使う仕事や危険のある仕事をしているにも関わらず、学歴等を理由として給料が低く設定されることもままある。
現在では産業構造の変化等があり、範囲が曖昧になってきているところはあるが、少なくともこの2色で区分をした場合、ホワイトカラー>ブルーカラーという力関係が想像できる。

「この地に根付く音楽の歴史を、特に音楽科の生徒は引き継ぎ、大きく羽ばたいていって欲しいと思います」

理事長らしき人物の行った挨拶でも、音楽科に対する期待が明確に高い事が伺える。
片方に言及してもう片方には言及しない、ということ。
また、明らかに白い制服が前に、紺の制服が後ろに固められていること。
そもそもが音楽学校であったこと。
この辺りを見るに、この制服の色分けには明確な意味があるように感じる。
具体的に言うなら、白い音楽科と紺の普通科には壁があるように考える。緩やかな断絶と言ってもいいかもしれない。

そして、その白と紺の間に存在する壁を象徴するような印象を与えていったのが、葉月恋だった。

彼女の態度は、「取り付く島もない」と表現するのが適切だ。
提案や話し合いをする余地はなく、ただただ切り捨てられるのみ。
理詰めで的確に応戦する澁谷かのんは見事だったが、自分自身がスクールアイドルをやる訳ではないという弱みがあって切り返しきれない。「あなたは?」と言われた時に押し黙る羽目になる。

これは特に他メディアの情報に精通している訳でもない、つい昨日この#01を見るまで殆ど無知であった人間の予想なので、まるで信憑性はないのだが。
あの脅迫観念じみた何かを感じさせる強い口調や態度、創始者の娘であるという環境から察するに、恐らく葉月恋は身近な大人が機能不全を起こしているタイプの少女だと思われる。

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「どうしてそんなこと言い切れるの!?」
「……あなたはどうなの?」

このやり取りの際、彼女は視線を向けたまま逡巡し、その後画像のように一瞬目を閉じてから話題を強制的に切り替えている。
これは恐らく、言い切れる理由が存在しないというよりも、理由はあるがその理由が極めて個人的な、初対面の他者に触れられたくないような経験や記憶が元となっているからではないだろうか。

恐らく彼女に焦点が当てられる時、その理由が過去の経歴と共に明らかになると思う。
ラブライブ !スクールアイドルフェスティバルALL STARSに登場した三船栞子のように、スクールアイドルを原因とした何かしらの喪失を味わっている可能性もある。
先程の善意の話よろしく、スクールアイドルとて何もかも全てが素晴らしいもの、という訳ではない。
作品に触れるこちら側は基本的に良い側面や綺麗な部分のみを見て消費しているが、実際にあの世界で生きている人の中には様々な理由でスクールアイドルを嫌っている人も少なくない数いるはずだ。

葉月恋を通して、そういった今まで描かれてきたものの再評価や疑問提起が行われることを期待している。
このコンテンツに限った話ではないが、それでもラブライブというコンテンツはその性質上、関わるものを全て全肯定しつつ増長するファンが少なくない数存在する。

そういった傾向になる原因の一つとして、自己批判や疑問の提起よりも何かを肯定したり認めたりする部分に重きを置いた物語の作りが関係していると感じている。
そういった物語の作り自体はなんら問題なく、むしろ望ましいものだと思う。
しかし、作品側が自己批判をあまり行わなかった結果として、肯定する行為に耽って批判に対する耐性が著しく低下したファンができてしまっている側面も間違いなくある。
スーパースターは現時点で善意や熱意の怖さを描写するなど、既にかなり信頼のおける作りになっているため、葉月恋という人物の取り扱いに関しても強く期待しておこう。

間違っても、「嫌味な優等生にスクールアイドルの素晴らしさを分からせてあげた」みたいな興醒め極まるものではなく。
彼女が現在の在り方に至る過程や原因に向き合い、正面からそれに触れた結果として仲間に加わる、という話の運びになることを祈る。

黄昏の君、鈍色の線

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「がっかりするんだよ。いざってときに歌えないと」
「周りのみんなもがっかりさせちゃうし、何より自分にがっかりする」
「そういうの、もう嫌なの!」

「自分にがっかりする」という言葉選び。
難しい言葉もなく、シンプルな台詞。
しかしだからこそ、この言葉の並びは秀逸だった。

「自分にがっかりする」。
身に覚えはないだろうか。
出来るはずのことが出来ない。
出来たはずのことが出来ない。
出来るはずなのに、自分が自分を裏切っていくあの感覚。
どこにぶつけることも出来ないやり切れなさを、一人で処分する時間の虚しさといったらない。

そう、「がっかりする」のだ。他でもない自分自身に。
何度か「がっかり」した人間は、やがてそれに慣れて予測を立てるようになる。
その結果、やらないことを選ぶようになっていく。
自分の裏切りを予測出来るのは自分だけで、その裏切りで傷付いたときの痛みを負うのも自分だけ。
それを分かった上でやる、というのは想像以上に勇気がいる。

それも、自分自身から「歌えない」という裏切りを受け続け、未だ傷が癒えていないであろう澁谷かのんである。
スクールアイドルという、人前で歌って踊る……言ってみれば、間違いなく「裏切られる」ことが目に見えている世界に踏み込むのはかなり厳しいものがある。

「応援します」と真摯に寄り添おうとする唐可可の言葉も、言ってしまえば身勝手だ。
結局傷付くのは本人であり、いくら寄り添われようが応援されようが痛いものは痛い。
「治療はしてあげるから怪我してみよう!」と言われても普通断るだろう。

でも。
その身勝手な善意を。
少し乱暴な熱意を。
求めている"傷"も、間違いなく存在する。
傷の消毒は大抵痛む、そんな感じで。
傷に直接触れてくる何かが必要な人間もまた、いる。


『ーーいいの?』
『私の歌を大好きって言ってくれる人がいて。一緒に歌いたいって言ってくれる人がいて』
『なのに、本当にいいの? 本当にこのままでいいの?』

擦れてはいるが擦り切れてはいない。昼ではないが夜でもない。
黄昏時で踏み止まっている擦れた善性が、鈍色の線を前に立ち止まる。

聴覚の檻で歌う歌に、観客はいない。
外に聴こえはしてもそれは聴こえているだけであって、あくまで檻の中で歌う歌は自分だけのもの。

いつでも側で 光をくれた歌
手を繋ごう

冒頭にてこう歌っていた彼女が、一人きりの世界で誰に向けるわけでもなく歌う歌を好むようには思えない。
誰かに向けた歌に光をもらった。自分もそんな風に歌で何かを届けたい。
恐らく彼女の歌に対する姿勢はこういったもののはず。
そして今、一緒に歌おうとしてくれる人が、あなたの歌が好きだと強く伝える人がそこにいる。

何度も何度も裏切る自分。
自分ですら信用できない、自分。
自分の中で欠落していた信用を、強引に力強く、一心に差し向けてくる誰かがそこにいる。

澁谷かのんは擦り切れていない。
諦観に振り切れず、参加する気もないスクールアイドル活動に協力するお人好し。
日が沈みきらない黄昏に佇み、学校と外を区切る鈍色の線を踏み越えない。


だから。




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だから、彼女は線を越えずに逆流する。
大好きな歌を取り返すため。
また傷付くかも知れない、それを承知の上で。
自分ですら信用できない自分を信用してくれる、そんな「誰か」を繋ぎ止めるために。
鈍色の線に背を向けて、誰そ彼の中を駆け戻る。


星を越えるもの

スーパースター、とは何を示すのだろうか。
素直に言葉の通り考えるなら、「大スター」とか「大物芸能人」とか、そんな感じの意味になると思う。
ただ、それは#01を見て感じたものとどうにも相性が良くない気がする。
それを目指すにしては現時点からして結構泥臭さがあるし、この話で示された価値観から「大スターになろう!」とは繋がらないのでは、と感じてしまう。

superという英単語は、「上に」や「越えて」あるいは「向こう側に」といった意味を持つラテン語のsuperを語源としている。
これは完全にAqoursの「届かない星だとしても」の影響だが、星(star)は手の届かない高さにある目標、と見立てることができる。

澁谷かのんにとって、恐らく音楽科への入学は"星"だっただろう。
「歌えない自分」によって、二度と手が届かなくなってしまった"星"。
もう少し遡るなら、そもそも結ヶ丘の音楽科に入学したかったのは冒頭で語られていた「歌でみんなを笑顔にすること」のためだ。

ということで、恐らくこの物語は当初の"星"である「歌でみんなを笑顔にすること」を飛び越えて当初想像していなかったような高さへと飛び上がる話だと予想する。
あるいは、空に輝く過去から届く光ーー過去のスクールアイドルという"星"を尽く超越する、という挑戦的な言葉なのかも知れない。

もっとも、これは考えすぎで思考が明後日の方角へ飛んでいきがちな私の妄言である。
鼻で笑って、今すぐ忘れていただいて結構だ。

それ以前に、こんな所のこんな記事をここまで読んでいる物好きが果たして一人でもいるのか、という話にもなるのだが。


何度も星に手を伸ばし、やがてその星を越えるもの。
期せずして社会現象クラスの人気を得て、ここまで続いてきたコンテンツの新世代が冠するには相応しいと私は思う。

この後も感想を書くかは分からないが、飽きるまでは遠くからその道行を見させてもらうとしよう。

色々あってもやっぱり、文字を打つのは楽しいものだから。




引用

画像:YouTubeラブライブ !シリーズ公式チャンネルより(https://youtu.be/3jEhJEvj9io)/©2021 プロジェクトラブライブ!スーパースター!!

台詞(色付き文字部):同上

参考
人材マネジメント用語集/(株)アクティブアンドカンパニー(リンク先コトバンク):https://kotobank.jp/word/ホワイトカラー-134901

レアジョブ英会話:https://www.rarejob.com/englishlab/column/20170725/

語源英和辞典:https://gogen-ejd.info/super/