月の裏側

行き場を無くした思考の末路

星と宙の狭間で

「ーーあんた、浮気してんの?」

 

背筋が凍った。

ある年の11月。会社の用事で東京に来たついでに実家に一晩泊まった翌朝のこと。

朝食の席で母が唐突にそう言ってのけたのだ。

 

「……え? な、何のこと?」

 

あり得ない話だ。

そもそも交際している相手自体ーー

 

「あんた、最近花丸ちゃんのスタンプしか使わないじゃない」

 

がくり、と机に突っ伏す。

してやったり、と言いたげなにやけ顔。

ああ、また一本取られたーーそんな、4thライブも間近な秋の朝に起きた一幕。

 

 

 

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PVを見ながら、ふとそんなことを思い返していた。

新曲のPVで堂々とセンターを務めるその子は、あの頃よりも大人びて、大きく見える。

 

そうだ。

あの他愛ないやり取りから少し、あの子について思索したことがあった。

この際だからここに書き記しておこうか。

 

大きな蝶の羽を背負って舞い歌う、物語を愛する我らが語り部

国木田花丸に関する、幾つかの小品を。

 

 

 

🦋 

 

 

 

#1 だって使いやすいもの

「だってさ、花丸ちゃんのスタンプってめちゃくちゃ使いやすいんだもん」

 

食卓に座す両親に向けて、拗ねた子供のように言い訳をぶつける。

ただ、これは歴とした事実でもあるのだ。

物は試しとスタンプの一覧を見せる。

 

デフォルメされ、万人に送りやすい絵柄。

『了解』『行くずら!!』『やったずらー!!』といった汎用性の高いリアクション。

更に『ありがとう』で感謝を、『おつかれさまずら』で労りを、『ねむいずら』でお互いに寝ようという意思を、角の取れた丸い肌触りで表明できる。

通話を待っている意図で『チラッ』を使えばさして相手に重圧を感じさせる事はないし、食べたものを写真で共有した時は『おいしいずら♪』か『まんぷくずら!』を送れば仔細を省いてもおおよそ伝わる。

疲弊していたり自棄になっており、十分に思慮を施した文を書けそうにない場合は『”無”』か『疲れたずら。』を送っておけば疲れていることを伝えた上で余計な軋轢を産まずに済む。

 

何より、それらの言葉に合わせた花丸ちゃんのポーズや仕草が絶妙な可愛さだった。

素朴で嫌味なく、かつどこかユーモラスな可愛さ……日常的にコミュニケーションをとる家族間等で使うには最適な温度だったのである。

 

「ああ、確かに使いやすそうね」
「なるほどこれはマルちゃんばっか使うわなぁ」

 

案の定、スタンプ一覧を見て両親も納得の様子だった。

特に花丸ちゃん贔屓の父は、どういう理屈なのかちょっと自慢気な表情ですらある。何で?

 

そこから暫く、僕と父は『何故国木田花丸のスタンプは使いやすいか』に関して無駄に風呂敷を広げて妄言を繰り広げていた。

母はひとしきり僕をからかって飽きたのか、自分の内職に戻っていた。猫か。

 

僕は妄言の類が大好きだ。

自分の中にある種々の知識を思いつきで結び付け、そこに何かしらの意味を見出してただはしゃぐ。

そこには利益も不利益もなくただ自由と楽しさが広がっていて、そこを漂っている間は誰もが無邪気で愚かになれる。

そう、成人した社会人男性であるところの僕と既に現役を退いた70を超える父ですら、その例外ではなく。

その妄言は、中々興味深い所まで踏み込んでいた。

 

「やっぱりさ、あの『ずら』ってのは大事だと思うんだよな」

「確かに、可愛いもんねあれ……最初見た時はぎょっとしたけど、今じゃすっかり定着しちゃったし。あの方言を可愛いものとして定着させるってのは見事だよねぇ」

 

父曰く、あの可愛らしい如何にも二次元美少女キャラクターといった風情の9人のメンバー内に思い切り方言の入っている子を採用したことがとても良かったそうだ。

我が父は『ずら』の重要性に関してこう続ける。

 

「やっぱお前に最初アニメを見せて貰った時、何となく乗れないというか、俺たち向けのものではないよなぁ、って気がしててさ」

「でも、花丸ちゃんの『ずら』ってのを聞いて、それを同じ世界の女の子が可愛いって言ってるのを見て、ああ、そういう子を可愛いと思う俺たちみたいな人間にも場所をくれるんだ、っていうかーーあなた達もこの作品を好きでいい、って言われたような感じがしたんだよな」

「多分だけど、沼津のおじいちゃんおばあちゃんで似たような気持ちになった人っていると思うぞ。結構地元のシニア層を繋げる役割を果たしてたんじゃないか?」

 

これだから普段ジャンル外にいる人間と話すのは面白い、と僕は嘆息した。

その感覚は恐らく、普段話しているオタク仲間と話していても永遠に聞くことのない所感だっただろう。

そして、奇しくも父の言う事を裏付けるような出来事を僕は経験していた。

まさしく、その沼津でだ。

  

 

🦋🦋 

 

 

#2 グランマ・キラー

中央公園を右手に坂を下る。

数区画歩いた所で徐に左折。

そのまま少し直進すると、右手に”Frank Bar”という名のバーが見える。

 

以前市川さんバー巡りを勧められたのでやってみよう、と豪雪真っ只中の地元を脱して2月の沼津にやってきた僕と友人は、これまた市川さんに教えて貰ったそのバーへと向かった。

教わっていなければ分からないような控えめな外観だが、中に入ればそこは品のある調度品と音楽に飾られた立派なバーだ。

 

バーとは無縁だしそもそも下戸な僕と友人は、緊張の面持ちで階段を上る。

サンシャインと直接の関わりがないお店なので、そうとは分からないように普通の格好で来てはいる。

それでも、やっぱり場違いなのではという気持ちは湧いてしまう。

しかし、階段を上りきった先で僕達を迎えたのは、人の良さそうな老夫婦の優しい笑顔だった。

 

「あら、そんな遠くから来たんですか」

「はい……えっと、観光で」

 

品の良さと暖かみは共存し得るのだと思い知る。

店内の印象は一歩踏み込んだ時から変わらず品性のある大人びた印象だが、マスターやその奥さんの接し方は優しく暖かい。

その暖かさは、これまで沼津の人たちから感じてきたそれと一致していた。

やはりここは沼津のお店なのだと痛感する。

 

くい、とグラスを傾ける。

小さな農家と直接契約して貰っているという、希少な国産のブラッドオレンジ果汁。

それをふんだんに用いたカクテルは、爽やかでとても飲みやすかった。

 

「もしかして、ラブライブですか?」

 

やはり、何となく察されてしまうらしい。

沼津に観光、20代の男2人、遠方から。

この辺の情報に加えて場慣れしていない様子等を考慮すると、まあ筒抜けだったのだろうとは想像出来た。

そうなんです、と素直に答えれば、お陰様で随分沼津も賑わってるわ、と優しい言葉が返ってくる。

奥さんはラブライブに関しては殆ど知らないようだったが、それでもAqoursのお陰で街に活気が戻ったことを喜んでくれていて、僕はそれがどうしようもなく嬉しかった。

そこからは少しAqoursの話を混ぜつつ、色々と雑談に花が咲いた。

 

「この仕事だと放送時間と被ってしまうから基本的に見れないんだけど、1回だけドラマ見たわよ」

 

ここでいうドラマとは恐らくアニメのことだろう。

だが、無粋な修正はしない。似たようなものだし、何より僕はアニメとは無縁の世界で生きていたであろう人が1度でも見ようとしてくれたこと自体が嬉しくて有難くて仕方なかった。

 

「話の途中からだったから、細かいところは分からなかったし……正直、どの子がなんて名前かも覚えられなかったけどーー」

 

それでもいい、構わない。1度でも触れてくれたことが嬉しい。

心でそう思っていた。いや、酒で記憶が曖昧になっているだけで実際は口に出して言っていたかも知れない。

しかし。

 

「ーーそうね、あの『ずら』って言ってる子が可愛かったわね」

 

1人、例外がいたようだった。

 

 

 

ホテルで派手に酔い潰れた翌朝、どこまでも突き抜けるような晴天の中。

僕と友人は、アーケード街にある駄菓子屋ではしゃいでいた。

 

大黒屋というお店に花丸ちゃんのスタンプがある、と言う友人について行き、恙無く発見してスタンプを押した。

そして興味本位に店内を眺めてーー驚愕した。

記憶の奥底を突かれるような感覚。

正方形の箱に入った果物味のガムに、包装紙の裏側に”あたり”が書いてあるともう1つ貰える大玉の飴、そして包装紙の裏にあみだくじなどのゲームや謎が記されているコーラ味のガム、それから、それから。

その昔親しんでいた”駄菓子”の王国がそこにはあった。

 

「ほら見なよこれ29円だって! そんな安かったっけ!? コスパ良すぎない!?」

 

いい年した男がはしゃぐ姿は見るに耐えなかったろうに、店主らしい女性はこれまた暖かく話しかけてくれて、沢山面白い話を聞かせてくれた。

このアーケード街の成り立ちや構造。

戦前に買った土地だからこうして保有出来ているものの、現在の地価で考えるととても改めて買い直すことはできないような広さがあること。

奥のスペースでは学校帰りの子供達が宿題をやったり遊んだりして、学童のような役割を果たしていること。

壁に飾られたポスターやジグソーパズルは逐一ファンの人たちが持ってきてくれること。

 

気付けば僕も友人も、会話に夢中になって時間を忘れてしまっていた。

そしてふと、まちあるきスタンプの話に話題が移る。

確か、僕か友人のどちらかがなぜスタンプが花丸ちゃんなんですか、と聞いたのだったと思う。

 

「どのメンバーにするか選ぶとき、9人の絵を見せられてね。それで、このたれ目のおっとりした子が可愛い! って思って選んだの」

 

どうやら花丸ちゃんに決めたのは直感だったらしい。

しかし、彼女らを知っている僕からして見ても、その直感は的確だったように思う。

花丸ちゃん自身駄菓子が好きそうだし、実家が寺ならお客さんに出すためのお菓子を買ってくるよう頼まれていてもおかしくはないし。

なんなら奥のスペースで自習したり遊んだりしている子供達の面倒を見たりしているかも知れない。それもまた、様になると思う。

 

記念にとお菓子をいくつか買い、お礼を言って店を出る。

これからまた雪の降り積もる地元に帰るのは少々気が重かったが、それでも少し足取りが軽くなった心地だった。

 

 

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#3 縁と円

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「違う服を着てたって、大人になって離れ離れになったって、僕とカズちゃんは、はじめからおわりまで、まあるいえんでつながってるよ」

「さらざんまい」という作品をご存知だろうか。

”欲望”と”つながり”をテーマとした、3人の少年たちがカッパとなってゾンビと戦う話だ。

語れば長くなるので仔細省くが、この作品において上のような台詞が登場する。

主人公である一稀の弟、春河の台詞。

実は一稀と春河は実の兄弟ではなく、一稀だけ母親が違う。

父の再婚相手との間に生まれた弟の春河が本当の家族で、自分は家族の輪に入っていないーーそんな疎外感から家族でお揃いの服を着ようとしない一稀に、春河は”まあるいえんでつながってる”と言ったのだ。

 

この作品において、人と人とのつながりーー即ち縁は円として表現される。

そしてこれは、現実の我々を繋ぐ縁も同様であるように思う。

関係ないと思っていた知り合い同士が実は旧知の仲だったとか、趣味で繋がった人と会ってみたら母校が同じだったとか。

思いもよらぬところで人と人は繋がっている。そしてそれは、きっと丸い形をしている。

 

その観点で見たとき、アニメ好きーーというか、オタクとしてのつながりというのはかなり強固で広いつながりのように思う。

ただ1つの作品が好きというだけで、住む場所も年齢も性別も職業もバラバラな人間が集まって何時間も語り明かせてしまうのだから、その強固さと幅広さといったら大層なものだ。

しかし一方で、この円はかなり人を選ぶ傾向がある。

所謂サブカルチャーの空気感を理解出来るか、そして更にそれを良しと出来るかは人によってはかなり難しい。

故に、愉快な繋がりであるもののどうしても内向的になりがちな側面も無視できないのがこの円だ。

 

多分に漏れず、ラブライブ!サンシャイン!!というコンテンツもサブカルチャーである。

自分含めこの作品を好む人間は間違いなくオタクに分類されるし、多かれ少なかれそういった性質を帯びる。

そしてその円が醸し出す空気自体が、時として他者を遠ざけてしまう。

 

しかし、この作品には国木田花丸がいた。

背は低く、特別派手な髪の色でもなく。一人称が「オラ」で語尾に「ずら」の付く、思い切り田舎っぽい女の子だ。

最初にAqoursのメンバー設定が公開された時の衝撃が忘れられない。

普通に見れば正統派の美少女にもなるだろうに、「オラ」と「ずら」に全てを持っていかれた感覚。

ネットを見ても「キャラ付けにしてもやりすぎだろ」「キャラデザ可愛いけど流石にオラはない」といった声が少なくなかったように記憶している。

少なくとも、全体的に困惑が走っていた記憶がある。

 

しかし今にして考えれば、既に円の中にいる者たちにとって違和感のある表現は逆に今まで円の外側にいた者たちが共感し得る表現だったのかも知れない。

少なくとも、方言もある種の野暮ったさもむき出しのままこの世界に飛び込んだ彼女の手は、今までこの円に触れ得なかった人を繋いでくれたのだと今は思う。

彼女がいたからこそ、サブカルチャーと縁の遠そうな地方のシニア層にここまで自然と受け入れられたのではいかと。

そして、そうやって繋がれたからこそ我々オタクは今まで見向きもしなかったであろう田舎の町へ遊びに行き、そして暖かい人との繋がりを得ることとなったのではないだろうか。

 

彼女は間違いなく、我々の縁を大きな円へと広げてくれたのだ。

 

 

 

 

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#Ex 世界の輪郭

水平線とは何か。

 

海と空の境目だ。

 

海と空の境目とはつまり、惑星と宇宙の境目。

 

では、この惑星はどんな形をしているだろう。

 

愚問である、球形だ。

 

であれば、その輪郭は。

 

そう。この惑星のーー世界の輪郭である水平線は、人の縁と同じ形をしている。

 

 

 

新しくなれ! 動き出したミライ

またはじまるよ 準備できた? もうできてる!

信じられないくらい 遠くへ飛べそうだから

元気! もっと! 出して! もっと!

僕らは夢で息してる

胸があっつい 今もあっつい 

未体験HORIZONという曲の歌詞に描かれるのは、終始一貫して前向きでパワフルな、曇りなく前を見つめるひとの視界だ。

辛いことや失敗が存在すると知って尚、それらを受け止めて前へと歩みを進めていこうとする者の熱。それがこの歌の歌詞には込められている。

この曲が発売された当初の僕は、はっきり言って胸焼けを起こしそうだった。

 

1つ目標を達成し、その脱力感が抜けないまま辛うじて仕事をこなす日々だった僕にとって、この熱は熱すぎて。

そういえば、夢がなんだったのかを思い出せなくなっていた。

正確には、今まで夢と認識していた方向へ向かう熱が生まれなくなっていることに気づいてしまった。

そんな風だったので、僕は発売して数回聴いた後にこの曲から距離をとってしまった。

少なくとも今の僕には夢も、何かに夢中になる熱もない。

無いものを無理矢理生み出そうとするのはひたすら苦しい。だから距離を置くしかない。

 

そんな日々の中で、ふとあの頃が懐かしい、と思ってしまうことがあった。

あの地獄の日々。心に走る激痛を抑えながら、ひたすらAqoursを好きな気持ち一つで駆け抜けた日々だ。

あのとき、僕は文字通り死ぬほど苦しかった。

でもあのとき、僕は今までで一番生きていた。

負けるものかと反骨心を燃やし、嘲笑う奴を心の底で嘲り返しながらただただ生き残るために戦っていた。

生活のあちこちにラブライブがあって、ひたすらAqoursをーーアニメを、生放送を、ライブを生き甲斐として追い続ける人生。

それは、今の抜け殻の僕にとって羨ましくて仕方のないものだったから。

 

じゃあラブライブを摂取しよう、と過去の映像を振り返ろうと思っても不思議と食指が動かなくて。

嫌いになった訳じゃない。でも、欲していない。

あの頃のようにラブライブだけに狂い続ける日々を送りたかった。

そうすれば全ての熱が戻ってくると思った。

でも、今はそっちじゃない、という自分もいて。

それぞれ別の方向へ向かおうとする自分に、心が分裂しそうな苦痛に襲われた。

 

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そんなある日、僕は昔好きだった作品を見返す機会に恵まれた。

ラブライブと出会うより前、僕が数年ぶりに夢中になって心を奪われた物語。

運命を変えるため、蠍の炎を燃やしたきょうだいの話。

それを契機に、僕は堰を切ったように手当たり次第に物語に触れた。

かつて見たいと思っていた物語、昔感銘を受けた物語、人から勧められた物語ーー先程の「さらざんまい」もそのうちの1つだ。

 

とにかく僕は、狂ったように物語を貪ったーー否、物語に狂った。

思考に甚大な影響を及ぼすレベルで物語を貪って、貪ってーーようやくひと段落した頃に気付く。

抜け殻だった訳でもなく、熱が生まれない訳でもなく、ましてや夢が消えた訳でもない。

ただ僕は、致命的な度合いで物語に飢えていたのだと。

Aqoursの声しか聴こえず、Aqoursの姿しか見えず、彼女たちにしがみ付いて生きていたあの頃から延々と続いた物語の摂取不足が祟っただけだ、と。

 

そして漸く実感として理解した。

5thライブが終演したあの時、間違いなく1つの世界が終わったのだと。

静かにステージから消えていくあの9人の姿と共に、あの世界には幕が下りたのだ。

そして、次の日にはもうこちらの気持ちなど知りもせず新たな世界の幕が開いた。

今までAqoursの活動を主体としていたキャスト達はソロ活動を活発化させ、キャラクター達は新たな平行世界で再びステージに立っている。

 

だから、僕もあの頃と同じことをしているのでは駄目なのだろう。

思い返せば、僕にとって「ラブライブらしくある」ということは、単にラブライブのコンテンツに触れることではなかった筈だ。

心の底にある欲に従って、ひたすらやりたいことに夢中になること。

それが、僕の思うラブライブらしさの本質ではなかったか。

 

あの頃の僕にとって、Aqoursが自分の全てだった。

でも、今の僕が抱える欲はどうやらそうでもないらしい。

勿論大好きな物語として依然ラブライブは僕の中にあるが、もう以前のような比重ではなくなっている。

それが、どうしようもなく寂しかった。

 

でも、別にそれで良いんだ。

ずっと前に見つけた答え。Aqoursの10人目と言い張って見栄を切り、彼女達と同じくらい自分のやりたい事に真っ直ぐに生きるということ。

それが、僕のやるべき事だとまた納得できたから。
必ずしもラブライブに触れ続けている必要はない。

僕は、気持ちの向くままにありったけの物語を喰らい尽くして、そして自分の中に生まれた物語に形を与える。

心の内からそれが出尽くすまで、形を与え続ける。

それが今、僕のしたいこと。欲望であり夢。

 

あの頃のように四六時中Aqoursのことだけを考えている日々から離れる覚悟を決めること。

それが、今の僕が前に進む為の鍵だったのだろう。

やはり少し寂しくはあるけどーーでも、僕は確信している。

欲に従って駆け抜けた先できっと、あの9人とまた合流できると。

またあの頃のようにーーいや、あの頃よりもずっと楽しく、Aqoursに狂える日々が来ることを。

だから僕は、嵐にも亡霊にも惑わされずに往くんだ。

ハートの磁石に従って、前へひたすら。

 

 

 

ごった返す思考に一旦の決着がついた。

懲りずに同じ場所をぐるぐる回っているようで頭が痛いが、1週目と2週目はきっと何かしら変わっていることだろう。

ふと、未体験HORIZONの歌詞を見る。

改めて歌詞を見てみれば、答えははっきりとそこに書いてあった。

 

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海へと沈むけど 海から登るんだ 月も太陽も 

光を呑むのが水平線なら、光が出るのもまた水平線だ。

水平線は世界の輪郭で、人の縁と同じ形をしている。

たくさんの人が繋がって出来ているこの世界は、時に夢を飲み込んでしまう。

でも、そんな世界からまた夢が生まれることだってある。

 

あの水平線は すべてを見守りながら

セカイは広いってことを教えてる? 

昔、オーストラリアで見た水平線を思い出す。

狭い範囲で見る水平線は直線のようだったが、大きく開けた視界の中でみる水平線は明らかに曲線を描いていた。

この星が丸いことを、思っているよりずっと広いことをーーそして、全部が丸く繋がっていることを、教えてくれているかのようだった。

端なんてなく、全てが繋がる丸い世界。

だから、思い切ってその線の向こうへ飛び込んだって、この世界はちゃんと受け止めてくれる筈だ。

 

これからもっともっと 夢のカタチ変わるんだ 

夢は簡単に呪いに変わる。

一度抱いた夢は、気付けば本人の気持ちを置き去りにして肥大する。

だから僕は、夢って言葉が嫌いだった。だって夢は自由を奪うから。

 

違ったんだ。

夢っていうのは、その時々で形を変えて良い。

形自体に意味があるんじゃない。

心の底に眠っている欲と向き合って、真っ直ぐ走りたいって気持ちになれることに意味がある。

欲を燃やせない、形だけの夢なんて夢じゃない。

形を変えても、変わらず僕の胸を熱いもので満たしてくれる”なにか”。それが夢だ。

 

前に進むんだ 思い出抱いて前に…

そう、以前の夢の形を捨てろって話じゃない。

ずっと言ってたじゃないか。

捨てるんじゃないんだ。

リングに閉じ込めて、ポケットに入れて、今度は抱きしめて。

一緒に前に進むんだ。今までの全てと一緒に。

 

無邪気に科学者になりたいと言っていた、スライム作りが大好きだった僕も。

浮き足立ってゲームクリエイターになりたいと宣っていた僕も。

一生バストロンボーンを吹き続けよう、と夢中で基礎練をしていた僕も。

この会社で一人前になってやる、と息巻いていた僕も。

Aqoursに狂い続けていようと誓ったあの日の僕も。

この地獄を生きて脱出しようと歯を食いしばった僕も。
新たにフルートを始めて、これを自分の趣味にしようと決めて教えを請うた僕も。

SNSを始めて、憧れていた人との繋がりを夢見た僕も。
新しい仕事で自分と似た境遇の人たちの助けになろうと決めた僕も。

そして今、心ゆくまで物語を貪り尽くし形を与えると決めた僕も。

 

全部抱え込んで僕は、前に進む。進み続ける。

 

 

 

 

だってまだ、お茶は熱いままだから。

 


 

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歌詞引用:未体験HORIZON  作詞 畑亜貴