レンズを下ろした視界の虹よ
こんばんは、月見です。
5thライブが着実に差し迫っている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。
ライブ前というと、皆さん色々な準備をしていると思います。
大切な人へ宛てた手紙を認める人。
ライブに向けて記事や絵などを仕上げる人。
遠征のための手筈を整え、荷物を用意する人。
敢えて何もせず普段通り過ごすという人もいると思います。
さて、人それぞれ多種多様な準備がある訳ですが、僕は気付いてしまいました。
この5thライブを迎えるにあたって1つ、大きなやり残をしているということに。
そう、劇場版ラブライブ!サンシャイン!!The School Idol Movie Over the Rainbowの振り返りをしていなかったのです。
我ながら何という遅さ。情けなさに涙を禁じ得ません。
しかし、恐らく劇場版の楽曲を中心に構築されるであろう5thライブを迎える直前に劇場版を振り返るというのもまた乙なものです。きっと。たぶん。おそらくは。
前置きが長くなりました。
今回はゆるりと劇場版のことを振り返っていこうと思います。
但し、例によって自分と作品を同期接続照合しがちなオタクですので、自分語りを多分に含みます。
また、目新しい考察等は専門外ですので行っていません。
ご容赦いただけるようでしたら、どうぞお付き合い下さいませ。
渡辺月という”役割”
さて、この映画のことを一言で表すなら何でしょう。
僕は、『”変わる覚悟”を呼び覚ます話』だと考えます。
他にも種々のテーマや要素が組み合わさっているとは思いますが、僕にとってこの話はそういう話でした。
特に象徴的だと感じたのが、渡辺月という人の存在です。
劇場版で追加された要素で最も大きいものといえば、それはやはり渡辺月の存在であると言えるでしょう。
メンバーの従姉妹ーー血縁者であり、且つ同年代の女子。
転入先の静真高校の生徒会長でイタリアの言語や地理にも精通しているという、メタ的に見れば
余りにも「都合が良い」存在。
1番最初に映画を観た時、僕はこの渡辺月の持つ「都合の良さ」が怪しくて、途中までずっと「腹に何を隠しているのだろう」と疑っていました。
基本的に、余りに強すぎたり都合が良すぎたりする登場人物というのは死ぬか裏切るかするものです。
作品の性格的に死は考え難い為、何かしらの形で裏切りを働く人物なのだろうと見ていました。
しかし物語前半、イタリアでのあるシーンで僕の中で「ああ、そういう役割か」と納得のいく瞬間が訪れました。
レストランでライブについて打ち合わせをしている最中に、「カメラは僕に任せてよ!」と言ったシーンです。
この時の月ちゃんは正にカメラで曜ちゃんを撮影している最中であり、その後に訪れるHop? Stop? Nonstop!のライブシーンも月ちゃんが構えたカメラのレンズに吸い込まれるようにして始まります。
そこで、ピンときました。
渡辺月は”カメラを持つ人”という役割を与えられた人であると。
勿論、「カメラによって撮影を行う役割を持ったキャラクター」という意味ではありません。
酒井監督の文脈で言うところの”1つ増やした視点”の代表格という意味です。
オフィシャルブック内にて、酒井監督は次のように述べていました。
いっしょに体感してほしいというのがあって、視点が1つ増えると思ってPVは作ってました。本当はカメラにならなきゃいけないけど、しだいに第3者の視点から見れるように作っていましたね。
ドキュメンタリーのセオリーですと、本来は千歌がカメラを持っているべきなんですよね。千歌の主観だから、本当は千歌の後ろ姿は映ってはいけないのだけど、あえて大胆に入れていきました。
千歌たちの様子を一歩引いて視聴者のみなさんも一緒に観る。そういうふうに視点を1つ多くして、2人の会話を盗み見する感覚を出しました。
酒井和男 - ラブライブ!サンシャイン!! TVアニメオフィシャルBOOK2
ただ撮影する機械としてのカメラではなく、”1つ増えた視点”としてカメラを持った人間がいる。
そして、その人間とは他でもない視聴者の我々であるーー引用部分で酒井監督が言いたいのは恐らくこういうことだと思います。
2期12話のあのシーンも決して「それぞれの隔離されたもの」ではなく、むしろ「視聴者もカメラを持って同じ場所に立つ当事者である」という趣旨があったからこそああいった写し方になっていたということでしょう。
見ている1人1人に、劇中の出来事や問題を他人事としてではなく自分のこととして捉えて欲しいーーそんな意味を込めて、酒井監督はここで”視点を1つ多く”と表現しているのだと解釈しています。
そして、そんな”1つ増やした視点”の具現化が、渡辺月という人物なのだと思います。
前半の彼女は、”静真高校生徒会長”ないし”渡辺曜の従姉妹”という役割に沿って作成した”外向けの顔”越しにAqoursと接しています。
また、ライブの際などには放送委員ということもあってか積極的にカメラによる撮影の役割を担っています。
恐らくですが、スクリーンに映っていない所でも(特にイタリアでの観光中は)頻繁にメンバーの写真を撮影していたことでしょう。
つまり、前半は”仮面越し”あるいは”レンズ越し”にAqoursと接していたと言えます。
そうしてAqoursの近くにいながら一枚何かを隔てた距離感で接していた月ちゃんですが、徐々にAqoursから影響を受けて変化していきます。
最初に明確な変化が訪れたのは、イタリアから帰って来てすぐに分校で駅前ライブに関する打ち合わせをしているシーン。
僅かながら協力者を見つけて連れて来た月ちゃんは、ライブに向けて息巻くAqoursを見て「僕達も頑張らなくちゃね……!」と呟きます。
その発言は、どうにも「いつもの月ちゃんらしくない」ように感じました。
僕はこの劇場版で初めて月ちゃんを見るため、その発言が「彼女らしからぬ」発言であると断ずるのは難しいことです。
しかし、従姉妹である曜ちゃんは「いつもの月ちゃん」を知っているでしょう。
血縁者な訳ですから、外向きでない方の顔も知っている可能性があります。
その曜ちゃんが、先ほどの月ちゃんの発言を耳にして目を見開いているのです。
これは、「僕達も頑張らなくちゃ」が「月ちゃんらしくない」発言であるということの証左たりえるでしょう。
というか、それを最も短時間且つスマートに示すためにこの曜ちゃんのカットが演出として差し込まれたと考えるのが自然です。
このシーンから、「渡辺月という少女は客観視しがちでやや冷めたところのある少女であったが、Aqoursと接するうちに少しづつその精神性が変容し始めている」ということが読み取れます。
恐らくは、曜ちゃん以上に「何でも」「器用に」出来てしまう人なのでしょう。
それ故に熱くなれない、夢中になって、がむしゃらに取り組むということをしない。そんな性質を持っていたと想像できます。
しかし、Aqoursと触れる内にAqoursの熱は仮面やレンズ越しに彼女へと伝わっていったのです。
その熱が1つの境界点に達した瞬間があります。
そう、Brightest Melodyです。
このライブをスマートフォン越しに撮影していた月ちゃんは、曲の最中に思わずカメラを下ろして直接Aqoursを見ます。
レンズも仮面もない、感情に揺れる吹きっ晒しの双眸で。
渡辺月が、傍観者をやめた瞬間です。
🌙
熱を受け取り、傍観者という肩書きを捨てた月ちゃんはその立場と社交性を遺憾無く発揮して静真の生徒を次々と説得し、大量の協力者と共に再び浦の星の生徒達の前に現れます。
突然降って湧いて来た協力者達に思わず投げかけられた「でも、どうして?」との問いかけに、月ちゃんは答えます。
「思い出したんだ。僕達が何のために部活動を頑張っていたのかを」
「”楽しむ”こと。みんなは、本当に楽しそうにスクールアイドルをやっていた」
「その大切さを、AqoursとSaint Snowが教えてくれたんだよ」
「ーーありがとう」
その瞳は澄んでいて、どこか晴れやかで。
初めて見たとき、思わず「ーーああ、アンタもか」と心の中で崩れ落ちたものです。
Aqoursに出会って、がむしゃらに走る姿を見て。
いつしか、斜に構えることをやめていた。
何かにつけて皮肉や毒舌を言う癖をやめ、少しでも肯定的な言葉を使おうと思った。
馬鹿らしいって言われても、心がやりたいと思うことを、真っ直ぐにやるようになった。
人生を、楽しめるようになった。
そんな、自分の姿を見るようで。
思わず目頭が熱くなりました。
そしてこの時、確信したのです。
渡辺月という人は、10人目の代表格だと。
Aqoursに触れ、その熱に当てられて傍観者をやめたーー”カメラを下ろした”人の代表であると。
月ちゃんはAqoursの姿から熱を受け取り、それをもって”カメラを下ろす”覚悟を決めた訳です。
積極的に働きかけ、自分が取り戻した”楽しむ”ことの大切さを伝えていく自分に変わる覚悟を。
1歩1歩積み重ねて来たAqoursの輝きが熱となって渡辺月に伝播し、その熱が彼女を通じて更に広がっていきーーその結果として、Aqoursは静真高校全体に”カメラを下ろさせる”ことに成功します。
そう、静真高校の生徒達やその保護者も、10人目のモデルケース群であると考えられるのです。
現実のAqoursのファンにも色々な人がいます。
μ’sから好きだった人、曲から入った人、友達に進められて知った人、スクフェスがきっかけの人、地元が沼津だったから知った人ーータイミングも入り口も多種多様です。
そして、「Aqoursが好きだ!」となったタイミングも人それぞれでしょう。
知ってすぐに好きになった人もいれば、暫くは複雑な感情だったけどライブを経て好きになった人もいれば、元々嫌いだったけど何かしらのきっかけで好きになった人だっているはずです。
同様に、静真の生徒達や保護者達だってAqoursの熱が伝わる経緯は色々な筈です。
ライブ映像を見てすぐに伝わった人もいれば、友人や娘の説得を受けて腰を上げた人もいるでしょう。
しかし、結果として彼女達は揃って駅前のライブ会場に訪れます。
そして、思い思いのやり方でライブを楽しんでいました。
これが、酒井監督が伝えたかったことの1つなのかなと思います。
年齢も、性別も、タイミングも関係ない。
今からでも良い、もっと後でも良い。
気付いた時に、そっとカメラを下ろして欲しい。
レンズ越しに眺めるのではなく、彼女達と同じ目線で同じように熱く生きて欲しい。
そうして、あなたの人生を輝かせて欲しい。
そんな願いが、込められていたのではと。
自分の変化
ちょっと話は変わりますが、僕は丁度この劇場版が公開されている期間に仕事のピークを迎えていました。
年始早々仕事は激しく、今までやっていた業務だけでなく飛び込みの仕事も大量に入ってきます。
毎日遅くまで残って辛うじてその日にやるべき業務が終わる位の状況で、次々と精神も体力も削られて。
そうやって死ぬ気でやっても、掛けられる声はミスや問題点を攻める声か早く日程計画を出せという声が殆どで。
死に物狂いでやっている筈なのに手応えはなくて、むしろ足を引っ張っているのではないかという自責の念ばかり湧いてくる。
それでも、負けたくなかった、どうにか立っていたかった。
そうでないと、去年自分にした誓いが嘘になるから。
そうやって意地で暫く堪えてーー2月に入る頃には、以前病気で休んだ時と同質の頭痛や吐き気に苦しめられるようになりました。
2月15日。バレンタインの翌日が、僕の復職した日です。
その日を、「無事に復職1年を迎えられたぞ!」と誇らしげに迎えるつもりでいました。
実際にそこにいたのは、激しく疲弊してあの頃と似たような状態になっている自分でした。
単純な疲労と、「なんだ、結局部署変えても1年もたないんじゃん」という自分への失望が渦巻いて、そこにストレスが重なって。
ある時、知人に「そんな思いしてまでその会社で働く理由ってあるの?」と問われたとき、何も答えられませんでした。
元はと言えば僕はその業界に興味があって、今の会社に入社した理由もその会社の製作している製品が好きだったからです。
でも、残念ながらもうその熱はとっくに失せていました。
その製品達に結び付けられた負の記憶が多過ぎて、むしろ見るのも嫌で。
やってみたかった筈の設計の仕事も、気付けば図面を見るだけで拒絶感が湧いてくる始末。
ではその苦痛に見合うだけ特別給料が高いかと言えばそうでもない。
正直言って、色々な意味で限界が来ていると判断せざるを得ませんでした。
ちょっと前の僕であれば、そうは言ってもまだこの職場で戦うべきだと考えたでしょう。
転職というものに対して、そう上手くは行かないイメージが強かった為です。
しかし、Twitterを始めてから僕の見識はかなり広がりました。
知っている人の中に、転職を成功させている人がいました。
単に職場を変えるどころか北海道から東京への引越しも同時に成功させた人。
合わない職場に見切りをつけ、自分のやりたかった音楽の道を再び目指すことにした人。
どちらも僕と同年代か年上の方でした。
彼らはどちらも転職後の生活を楽しんでいるように見えました。
だったら、僕もその気になれば出来るのではないかと考えました。
実は、もし今の職に嫌気が刺したら連絡するように言ってくれていた恩師がいたので、アテがない訳ではありません。
このままここで失意を抱えてずっと生きるより、何かしら環境を変えてみた方が良いのではないかと考えました。
ここを離れて、環境を変えようと。
覚悟の照合
しかし、そう簡単に踏ん切りはつけられません。
職場環境が致命的に合わないというだけで、僕はこの石川という場所自体は結構気に入っていたのです。
広がる水田が映す空も、聴覚を埋める蛙の合唱も。
広くて車を走らせやすい道も、欲しいものは大抵手に入る駅周辺も。
徐々に理解していった道筋も、いつも行くスーパーも、顔見知りになって小一時間は話し込むようになった服屋の店員さんも、特徴的な黒い瓦も、春にはたくさんの桜を湛える公園も。
そして何より、ここに来て出来た友人の存在が僕をここに留まらせていました。
高卒で、院卒の僕とは大いに年齢が離れているにも関わらず仲良くしてくれた友人3人。
僕が精神を病んでいた時に頻繁に飲みに誘ってくれて、話を聞けば僕以上に僕を害した連中に怒りを示してくれて。
年齢も環境も全然違うのに、ある日「一緒に昼食いましょうよ」と声をかけてくれた。
僕が昼食の時間を平穏に過ごせたのは彼らのお陰です。
それから、僕がAqoursのライブに行くきっかけにもなったラブライバーの友人。
彼は僕と年齢も趣味も同じで、初めてお互いがラブライブ好きであると分かった瞬間からしょっちゅう行動を共にしていました。
CDが出るとなれば終業後CDショップに直行してフラゲし、すぐに車内で聴いた後にラーメンを食べに行き。
3連休があれば片道6時間近くかけて沼津へ向かい、チケットが取れれば手を尽くしてライブに参加して。
特に予定がなくてもファミレスでくだを巻いたり、ゲーセンでクレーンゲームと格闘したり、カラオケに行ってみたり、温泉に行ってみたり。
向こうがどう認識しているのか知りませんが、僕にとって迷わず”親友”と呼べそうな人間は多分この人生で彼が初めてです。
また、彼にも病気の最中は大分助けられました。
そもそも、彼の強い押しがなければライブを見ておらず、ここまでAqoursにはまり込むことも無かったでしょう。
僕を救ってくれたAqoursとの縁を繋げてくれたという意味でも、頭の上がらない友人です。
環境を変えるということは、彼らとも離別するということです。
せっかく得たこの縁を、そう易々と手放して良いものか。
職場を原因にそれを手放すのは、負けたということにならないか。
そもそも、新しい部署で立派に仕事を果たして見返してやると誓ったあの日の決意は全部腐ってしまうのでは。
そんな、敗走するみたいな形で何もかも無くしてしまって良いのか。
ここを出よう、と思う度にそんな思考が巡ってしまいます。
動きたい。でも、動いて失うのが怖い。
そんな時。
「全部、全部、全部ここにある! ここに残っている」
「ゼロには、絶対ならないんだよ!」
本当、嫌になります。
いつもそう。今回も結局、渦巻く思考を突き破ったのはあの人でした。
どうしようもなく眩く力強い熱を持って、言葉が胸に刺さります。
最初の頃はただ「いい台詞だな」「納得の行く結論で、実にこの作品らしい」と、あくまで鑑賞している立場の感想を抱いていました。気付けばレンズ越しに見ていたのです。
しかし、状況が変わって思考が行き詰まった時、この言葉は激しく僕の胸を打ちました。
そう、ゼロにはならない。なりようがない。
スクールアイドルを通じて沢山の経験や絆を手に入れ”変化”した彼女達からその経験や絆を、何よりその”変化”自体を取り除くことなど不可能です。
同様に、僕がここに来てから今までの”変化”を失うことだって不可能なはずです。
縁あってこの会社に入社し、友人達と出会ってラブライブ!サンシャイン!!を好きになり、これまでの人生で一番の辛い出来事をAqoursと共に打ち破って駆け抜けて、遂には楽器を再開してSNSに居場所を構築し今ではこうしてブログで考えたことを綴っている。
その過程で得た経験や広がった見識は、そう簡単に奪えるものではないのです。
考えてみれば当たり前のこと。
拍子抜けするくらい、簡単なこと。
でも、その簡単なことに、意外と気付けなくてここまで悩んで。
気付かせてくれたのは、やっぱりAqoursでした。
その日、僕は薄く張った涙のレンズ越しに新たな一歩を踏み出すAqoursの姿を見ました。
そして、決めました。
とにかく動こう。
先ずは病院に行って休みを取り、体制を立て直す。
時間は掛かるかもしれないけど、使えるツテは全部使って必ず次のスタートラインに辿り着く。
そして、その時。
いつか此処を出て、新しいスタートラインの前に立った時に。
今度こそ、吹きっさらしの双眸であの晴れやかな笑顔に合流して見せようと。
きっとその視界の先には、新しい虹が待ち構えているだろうから。
さて、5thライブまでもう幾許もありません。
先ずは、Aqoursの9人と、共に走る10人目のみなさんと、大きな虹を越えるとしましょう。
そして願わくは、その先に見えるもう1つの虹を越えられるように。
その先の人生を、胸に灯した熱く大きな輝きを以って駆け抜けていきたいと思います。
例によって自分語りばかりの振り返りでしたが、ここまでお付き合い下さりありがとうございました。
少しでも楽しんでいただけたなら恐悦至極、といったところです。
5thライブをみなさんがそれぞれのやり方でそれぞれに楽しみ切れることを願いつつ、今回はここで筆を置かせていただきます。
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