月の裏側

行き場を無くした思考の末路

薄陽がそっと祝うなら

 

ーー記憶領域検索開始

 

ーー該当事象捕捉、摘出開始

 

ーー摘出中…………摘出、完了

 

ーー閲覧者の生体情報を確認中……

 

ーー確認完了、適正ユーザーです

 

ーー記憶閲覧機能の展開を開始します

 

 

 

 

🌑 Behind Moon Archives 

(2018/3/10, 2018/6/8-11)

 

 

 

 

 

 

「ーー当たった!!」

千葉県某所。幕張メッセから程近いホテルの一室で、僕は反射的にそう叫んだ。

手狭なツインの一室で、何事かと友人が振り返る。彼にも見えるようにスマートフォンの画面を天井に向けて差し出す。

画面には、3rdライブ埼玉公演2日目の当選を知らせるメールが表示されていた。

 

ファンミーティング2018千葉公演1日目。

幸運にもチケットを掴むことのできた僕と友人は、物販で目ぼしいものを確保した上で一度ホテルにチェックインし、荷物を置いて休憩をしていた。

だらしなくベッドの上で横たわっていた所で突然の当選通知を受けた僕は、冒頭の通り大層驚き、喜んだ訳だ。

何故そんなに驚いたかといえば、既に埼玉公演1日目のチケットに当選していたからである。そこで運を使った訳だし特段積んだ訳でもないので、僕は当たるとしても友人の方だろうと高を括っていた。それが蓋を開けてみれば一人で両日当選ときたものだから、今までチケット運にあまり恵まれていなかった僕はその幸福さを持て余して完全に浮かれていた。

 

浮かれていて、忘れていた。

 

「……てかさ、そしたら帰りどうする?」

 

友人にこう、問われるまでは。

 

 

 

 

 

🎫🎫

 

 

  

 

 

「ーーそう、だから結局夜行バスで直接ってことにしたんだけど……うん、だから荷物は最低限で……そうなんだよ、雨降るって予報だから畳めるレインコート欲しくて……」

 

家族とそんな通話をしながら、僕は3rdライブツアー埼玉公演の荷造りをしていた。

そう、両日参戦が決まったのはいいが、僕が両日参戦を果たすに当たって3つ程問題があった。

 

1つ、2日目の曜日が日曜である。

2つ、翌日の月曜は仕事がある。

3つ、その仕事を休む訳にいかない事情がある。

 

3つ目の事情というのは、要するに僕と友人の所属する部署が同じであるということだ。

丁度忙しい時期だし、同時に2人休むのは心証が悪い。

しかもうちの職場はこの手のサブカルチャーに対する理解は極めて薄い為、ライブだから休みますと正直には言えないのである。

更に付け加えると僕は2月に異動したばかり。このタイミングで心象を悪くして仕事に問題を抱えることになるのは避けたかった。

だけど、だからと言って参加を見送る気もなかった。これっぽっちも。

だから、手段を探した。

2日目のライブをメットライフドームで最後まで見届けた後、翌朝8:00には制服を着て会社に立っている為の手段を。

 

友人が提案してきたのは、夜行バスによる移動だ。

金沢駅から夜行バスで埼玉へ移動し、1日目のライブに参加し宿に宿泊。翌朝荷物を全て持って2日目のライブに参加し、そのまま電車で夜行バスの停留所まで移動する。後はそのまま睡眠を取りつつ金沢駅へ。

金沢駅に着いたら仕事に不要な荷物を友人に預け、友人は車で1度帰宅し普通に出社。

僕はタクシーで直接会社に出向いてロッカールームで着替えて出社する。

こうすることで2人揃って朝帰りであることを隠蔽しつつ、始業時間に間に合わせるという計画。

 

要するに、メットライフドームから夜行バスで直接出社するーーそんな行程だ。

これなら、違和感なく月曜の朝を迎えられるという事で話は纏まった。

 

勿論、リスクだらけの行程だ。

もし会場から電車に乗るまでの間に時間がかかり、夜行バスに間に合わなくなればその場で2人揃って月曜の欠勤が決定する。迷惑もかけるし恐らく盛大に怪しまれる。

そもそも夏で気温が高い上に雨の予報だというのに、夜行バスで直接出社というのは色々とキツい。

それでも、ライブと仕事を両立させるにはこれしか無かった。

そして、僕はどっちも捨てたくなかった。このライブはーー特に埼玉公演だけは絶対に最初から最後まで見届けたかったし、ライブを理由に仕事を捨てることもしたくなかった。

それは、Aqoursらしくないと思った。

 

そう、虹が架かったあの日のように。

 

無理矢理にでもどちらももぎ取るのが、Aqoursらしいーーそう思った。

 

だから、僕は勝手に頭の中でこの行程を"虹行程"と呼んでいた。

お察しの通り、2期3話になぞらえたものだ。

どっちも捨てない。その為には多少強引な手段でも使う。それが、無謀に見えても。

 

着替えや道具の準備をしたりどう立ち回るかを検討したりする中で、勿論不安を感じることはあった。

でも楽しさが、ワクワクする気持ちが優っていた。

 

こんなにバカな無茶をするの、いつ振りだろう。

 

馬鹿げてるって分かっててもやりたい気持ちが先を走るこの感覚は、いつ振りだろう。

 

こうまでして何かをやりたいって気持ちになれたのは、いつ振りだろう。

 

(ーーああ。輝くって、きっとこういう時間のことなんだろうな)

 

柄にもなくそう思う。そう確信できてしまうくらい、世界がキラキラして見えた。

未来に待ってる3rdライブが、楽しみで仕方がなかった。

何故って、夢だったからだ。約束だったからだ。このライブが。

 

 

 

 

 

🕛🔙

 

 

 

 

 

ーー昨年9月。

 

メットライフドームに僕はいた。

ペンライトを握り、熱狂の一部となって叫んでいた。

 

仕事が辛くて、毎日吐きそうで。

ただひたすらにAqoursの存在を支えに日々を走っていた僕にとって、何にも代え難い熱の源がライブだった。

この瞬間は、ドス黒く汚れきった心が元の鮮度を取り戻す。

生きている実感も、人間らしい感情も、全て取り戻せる。

それが僕にとってのライブだった。

 

しかし、そうは言っても心が鮮度を取り戻すには時間がかかるものだ。

ライブが始まって暫くの間は、繰り返し職場で言われた強い言葉や辛い記憶、同期や先輩からの冷たく刺々しい態度が勝手に蘇る。

そうやって湧いてくる嫌な記憶をライブの熱量で焼き払っていくとライブ中盤にはすっきりとした心になるので、そこから先は純粋に楽しめた。

お陰で心が生き返るので有難い話ではあるのだが、逆に言えば僕はライブが始まってから暫くの間は蘇る嫌な記憶達と格闘する必要があったのだ。

また、どれだけ強大な熱を貰っても日常に戻れば1日と経たずに相殺されてしまっていた。

それだけ、職場は冷たかった。容赦なく冷やしてきた。

 

だから、その頃の僕にとって"健全な普通の心でライブを楽しみたい"というのが一番叶えたい夢だった。

それから、出来ればその熱を抱えてもっと長い時間走りたかった。ただ相殺するだけで消費したくはなかった。

でも、その望みはそう簡単に叶いそうにはなかった。

叶えたくても手段が到底思い浮かばなかったし、そもそも生きるのに精一杯でそんな案を考え出す余力がなかった。

なったらいいな、とぼんやり空想するのが関の山だった。

 

でも。

 

 

「3rdライブツアー、絶対びっくりさせてやるから楽しみに待ってるんだぞーーーー!!」

 

 

あの人は、こう言った。

大きな声で、「びっくりさせてやる」「楽しみに待ってろ」と、言った。

 

その時、僕は決めた。

 

来年の夏、必ずや健全な心身でメットライフドームに帰ってこようと。

そして、その心身を以って全力で「びっくり」してやろうと。

 

具体的にどうすればいいのかは分からなかったけど、それでもどうにかしようと決めた。

それ以降、度々その言葉を思い出した。

辛い気持ちに潰されそうになった時、「うるさい、僕は来年の夏びっくりしに行くって約束したんだ、楽しみに待ってるって応えたんだ」とそれを跳ね除けた。

精神病と判定が下り長い休みに入った時、このまま仕事を辞めてしまいたいと後ろを向く気持ちを前に向き直らせてくれた。

長い休みが明ける直前、復職が怖くて躊躇う心を「全力でびっくりしに行くためだ、やってやる」と奮い立たせてくれた。

 

伊波杏樹という人間があの日放った言葉が、約束が。1年近くあらゆる場面で僕の精神を牽引したのだ。

だから、僕は3rdライブをーー中でも、あの日"約束"をしたメットライフドームで開催される埼玉公演を、とてもとても楽しみにしていた。

これまでの人生の中でも一番の全力で、"びっくり"するつもりでいた。

 

だから、どうしても両日共に最後まで見届けたかった。

無茶をしてでも、絶対に。

 

 

 

 

 

🏃‍♂️✨

 

 

 

 

 

ーー2018年6月8日。

 

(着替えは持った、荷物も完成した、後はこれをロッカーに置いて……その後はもう、なるようにしかならない)

 

僕は、会社に持っていく荷物の中に月曜日着替える為の下着やロッカーに置きっ放しにする制服へかける消臭除菌スプレーを仕込んで出社した。

 

もう、虹行程は始まっている。

 

先ずは普通にその日の業務をこなし、退勤。

普段のようにそのまま帰らず、一度ロッカールームに立ち寄って仕込みを行う。

 

まず制服を脱ぎ、消臭除菌スプレーを吹きかけてロッカーにしまった。

次いで荷物に仕込んでおいた私服に着替え、月曜の朝にここに来た際に必要となる着替えの下着等をロッカーに設置する。

事前に何度も頭の中でシミュレーションしていたお陰か、随分と手早く事は済んだ。

実行してしまえば呆気ない。

 

準備の済んだロッカーを見て、次にここに来るのはライブ明けなのかと妙な感慨深さを感じる。

その頃の自分はどんな気持ちになっているのか、そもそも無事にここに立っていられるのか。

そんな事を考えながらロッカーの扉を閉めた。

 

ロッカーに仕込みを済ませた事で、自分の中でライブ向けのスイッチが完全に入ったようだ。

社員寮に戻るまでの短い徒歩ですら焦ったく、足早になっていた。

部屋に戻ってすぐにシャワーを浴び、着替えを済ませる。

忘れ物がないか再度確認し、友人がこちらに来るのを待つ。

 

 

 

『着いた』

 

妙に長く感じる時間の後に、友人から手短な連絡が入った。

待ちきれない気持ちに任せて勢い良く荷物を担いだ僕は、勇み足で寮を出て友人の車へと飛び乗った。

 

 

 

 

 

🚗✨

 

 

 

 

 

ライブや沼津に向かうとき、友人の車内は常にAqoursの曲が無限に再生されるようになっている。

今回は今までのように車での長旅にはならないが、それでもこうして友人の車に乗ると日常から脱出していく感覚を感じる。

あの曲が楽しみだとか、向こうに着いたらまず何しようかとか、そんなことを話しながら金沢駅へと向かった。

 

駅に到着し、駐車場で車に別れを告げる。

僕が次にこの車を見るのはいつになるやら。少なくとも月曜ではないから、しばしの別れだ。

少し早く駅に着いたので、軽食をコンビニで確保したりふらふら歩いたりしてバスの到着までの時間を潰す。

浮き足立って落ち着かない。

若干の不安と、膨大なときめきが胸中で混ざり合ってざわめいている。

 

もうそろそろ、見れるんだ。

 

あの人達のステージを。

 

また、あの場所で。

 

 

 

23時頃、自分達の搭乗するバスがバスターミナルに到着するのが見えた。

入り口に並んで予約画面を見せ、車内へ入る。

荷物を抱えてシートに座ると、程なくしてバスは動き始めた。

窓にかかったカーテンを少し開けて外を見る。

見慣れた駅周辺の景色が流れていく様が目に映り、僕はいよいよ後戻りの効かない所に踏み込んだんだと自覚した。

 

バスはやがて高速道路に入り、速度を上げて夜を駆ける。

心に絡まりついている日常の柵が解けていくのが分かる。

気分にまで作用する日々の重力が遮断され、今から向かうのは夢に見たステージ。

心が浮き立つ。まるで、バスが夜空を飛んでいるようだった。

 

いや、この時少なくとも僕にとってこのバスは飛んでいた。

夜空を走る、夢の世界への直行便。

馬鹿げていると分かってはいるが、この瞬間のこのバスは間違いなくそういうものだった。

 

改めて外を見る。

景色は高速で流れていき、夜で暗いせいもあってか見知った景色なのかどうかすら判別出来ない。

 

賽は投げられた。

久方振りの無茶。

夜を跨ぐ電撃戦

 

ーー虹行程の、本格的な開始である。

 

 

 

 

f:id:Tsukimi334:20190526052549j:plain



 

 

 

(……あっ、この人も記事上げてる)

 

夜の車内。

僕は一心不乱にスマートフォンを眺めていた。

AqoursCLUBにアップされた高槻さんの記事を読み、AqoursCLUB内の機能を使ってキャストへコメントを投稿し。

次いで、2ndライブツアー埼玉公演の頃からすっかり習慣になったブログ巡りとTwitter巡回に勤しんでいた。

 

#もっと大きく夢を叫ぼうか

 

あるブロガーさんが始めたハッシュタグ企画。

3rdライブ手前からカウントダウン式で進行し、やがて当初参加予定だったメンバーの枠を越えて数多のファンを巻き込み、大きなうねりとなった企画だ。

これに合わせて様々な記事が投稿された。それだけでなく演奏動画や単発のツイート等もこのハッシュタグと共に投稿され、ある種のお祭り騒ぎのようになっていた。

直前まで準備に奔走していた僕はゆっくりそれらを見る時間がなかった為、バスの車内で投稿された記事やツイートを消化していた訳だ。

 

推しへの愛を真っ直ぐに語る記事。

 

自身の熱をぶつけ、読み手にも行動する事を呼びかける記事。

 

楽曲や演出に関する、目の覚めるような考察記事。

 

どれも、3rdライブを目前にした期待感と熱が込められているものばかりで。

文面から熱が伝播するようだった。

ただでさえ上り調子の気持ちが、彼らの熱にあてられて更に上がっていく。

この記事を書いている人やこのツイートをしている人がこれから向かう会場にいるのかと思うと、何だか不思議な気分だった。

会おうと思えば会える距離にいて、同じ場所でライブを見届けるというのが、奇妙だった。

 

(会えるなら、一言でもーー)

 

そこまで考えて、思考を止める。

会ってどうする。向こうからすれば見ず知らずの不審者だ。

僕は、あくまでこの鍵垢から彼らを傍観するのみの立場。

アウトプットをしないどころか顔を隠しているようでは、同じラインに立つなど到底無理だ。

それに、仮に会いにいくとしたら友人が置いてけぼりになるのが目に見えている。

今は、自分の中の約束を果たすことに集中しよう。

 

でも、と歯噛みする。

でも、もし。もしもこの鍵がなかったら、もしかしたのかもしれないと。

せめて、一言くらい交わせたのかもしれないと。

 

そんな頃合いだ。

この企画を立ち上げたブロガー本人の、ある一言が目に焼き付いた。

 

皆さんが今手に握っている機械には、それを届かせる青い鳥が入っているでしょうから。

きっと最大140文字のブログを運んでくれます。

 

 

ああ。

そうだ、何故それに気付けなかった。

せめて、鍵さえ外せていたなら。外す勇気さえ発揮できていたなら。

今、この瞬間にでも飛び込むことができたのに。

 

僕の手元にいる青い鳥は、鍵の掛かった籠の中だ。

傍観者という名のそれに収容され、ただ観測のみしか行えない。

長いこと掛けっぱなしだったその鍵は恐れや惰性で錆び付いていて、外すには少々手間がかかる。

だからやっぱり、僕には傍観しかできない。

 

それでも、その事に気づけたのは収穫だったと思う。

この瞬間、僕には1つ目標が出来たのだから。

鳥を籠から解き放つという、人から見れば細やかにも程がある目標が。

 

一通りの記事やツイートを閲覧した僕は、スマートフォンをロックし目を閉じる。

高速で流れる夜の音の中、ざわつく心を宥めながら。

 

 

 

 

 

🌅🚌✨

 

 

 

 

 

朝が来た。

バスは何食わぬ顔で停留所に到着し、慌ただしく僕と友人はバスの外へと出る。

まだ日が昇ったばかりの街並みを、他愛もない会話と共に歩きつつ駅へと向かう。

駅で軽く朝食を摂り、電車に乗って目指すは西武球場前駅だ。

途中の駅で一度降り、乗り換えようと別のホームへ向かえば見覚えのあるグッズやTシャツに身を固めたお仲間の姿。

 

こうなるともう、ライブは始まったようなもの。

その上会場が夏のメットライフドームとくれば、これはもう立派なお祭りだ。

およそ1年振りの景色を懐かしみつつ、猛烈な日差しの下で物販に並んだりフラワースタンドを撮影したり、あとは出店の食べ物を食べ歩いたり。

灼ける日差しがどうしようもなく夏だった。

 

見渡せば、そこかしこで談笑しているオタク達。

想像しているより年齢層も性別もばらけている彼らを眺めていると、やはりこのコンテンツは色々な人に好かれている幸福なコンテンツだと実感する。

2ndライブ名古屋公演で隣に座ったのは小学生の女の子とそのお母さんだったし、沼津のお店で話を聞けば、4,50代くらいの人達がキャラやキャストの名前を覚えていたりするし。

この層のばらけ具合が強みであり良さだと思う。

こんな風に、1つの目的の為に色んな人が一箇所に集まって賑やかにしている光景が僕は好きだった。

 

 

 

一度宿にチェックインをして休憩を挟み、荷物を軽くして会場へ向かう。

入場列に並んで座席に着く頃には、もう日が傾き始めていた。

座席を見つけ、荷物を降ろす。

 

スタンド席B75ブロック、1塁側16列106番。

スタンド席の中でも一番後ろの方の、遠く離れた座席だった。

しかしチケットを受け取った時は少々落胆したこの座席、いざ座ってみると案外悪くない。

1塁側と3塁側の境界線付近に席がある為、ステージがほぼ真正面に捉えられる。

その上、高さがあるお陰で客席を含めて会場を俯瞰できる。

スタンドも捨てたもんじゃないね、などと右に座る友人と話しつつブレードの準備をしていると、左隣の席に座った2人組の会話が耳に入った。

 

「今回でAqoursのライブに参加するのは最後にするつもりなんだ」

真横に座っている男性がそんな感じのことを言った。

所謂”他界”というヤツだろうか。聞こえてくる声は会場の熱気に比べると冷め気味で、どうやら彼の中での熱が冷めて来てしまっていることが伺えた。

「マジか。まあいいんじゃね? ってか俺全然予習してねーわ……ブレードも普通にキンブレだし」

連番者らしきもう1人の男性は、どうやらラブライブサンシャイン自体には触れていなかったらしい。真横に座っている彼がジャンル違いの友人を誘って連番枠に入ってもらった、と言ったところだろうか。

「ああ、でもアニメは一応見たぞ? アニメあれ面白いな!」

ただ、アニメ版を見て好印象を抱く辺り、割と作品との親和性はある人のように思える。

「まあでもーーシンフォギアの方が面白い」

……適合者だった。

 

正直な話、最初は少しテンションが下がった。

自分が隣の彼とは逆に色々と熱を背負い過ぎているのも問題なのだろうが、温度差が居た堪れなかったのだ。

隣の人達を気にして存分に盛り上がれなかったら、とも少し思った。

でも、結局夢中になるのも飽きるのも人の勝手だ。

だから、僕に彼らをとやかく言う資格は無いし、逆に彼らへ過剰に気を遣う必要もない。

僕はただ、全身全霊をもってこのライブを楽しむだけ。

そして、約束通り盛大にびっくりするだけだ。

 

ゆっくりと思考のスイッチを落としていく。

目の前のライブを楽しむことに必要ない思考や感覚を遮断する。

日は傾き、メットライフドームに夕暮れ時の空気が満ちる。

ああ、これだからメットライフドームは堪らない。

立地も不便だし虫も出るけど、この外界と繋がっている贅沢さは替えの効かない演出だ。

 

さあ、満を持して幕が開く。

待ちに待った約束を果たす時。

日々の鬱屈を焼き払う時。

抑圧を解き放ち、命燃やして叫ぶ時。

 

ーーライブが、始まる。

 

(このライブで、この人にまた熱が戻れば良いのにーー)

そんな思考が一瞬だけ、脳裏を過ぎった。

 

 

 

 

 

✨✨✨✨✨✨✨✨✨

 

 

 

 

 

満を持して登場したAqoursは、凄まじかった。

 

大方の予想通り、初のフル尺披露となる『未来の僕らは知ってるよ』で幕は切られた。

どれだけ不安でも、先が見えなくても、この道の先には結果を知っている”未来の僕”が必ずいる。

であれば、自分に出来ることはその”未来の僕”とやらを信じて迷わずただ走ることのみ。あらゆる不安や迷いに屈する人に走る理由を与えてくれるこの曲は、精神疾患を抱えながら職場での人格否定に晒され続けていた僕の心臓だった。

この曲が無ければ、肉体の生命活動こそあれ精神は完全に死人のそれになっていたに違いない。

 

そんな曲を、彼女たちは熱く輝く笑顔で溌剌と歌い、踊っている。

ああ、これだ。

これが、この熱が、この輝きが。

僕を救ったものだ、手を差し伸べたものだ、先導したものだ。

不安も迷いも、不運も理不尽もある世界で尚、輝く瞳で夢を語る。

阻まれても、転んでも、熱い心で前へと走る。

そう、これが。

 

「I live, I live Love Live! days!!」

 

ーーこれが、『ラブライブ!』だ。

 

 

 

盛大にスタートを切ったAqoursは、ノンストップで畳み掛けてきた。

続く2曲は初披露。

『君の瞳を巡る冒険』では激しいダンスと射抜く視線で観客を魅了し、『MY LIST to you!』では愛らしい歌声とコケティッシュな振り付けで心を融かす。

MCに入れば賑やか且つ姦しく、どこにあっても変わらない彼女たちらしさを見せつけて。

アニメ2期という強力な物語の力を乗せ、『MY舞☆TONIGHT』と『君のこころは輝いてるかい?』が容赦無く叩きつけられる。

魂を直接熱するような莫大な熱量が全身を貫き、既に会場中が出来上がっている頃合いでーー”それ”は来た。

 

幕間映像、アニメのシーンのダイジェスト。

大好きなシーンだ。

傷だらけになって、砂まみれになって、それでも一歩届かない。

何もしていない、何も成せていないという自己嫌悪が胸を抉り、焦燥が傷を炙る。

傷を優しく冷やしたのは仲間の手。

照らした星々が返す光が、他でもない自分を照らし出す。

見れば、誰も彼もが傷まみれ。

何より多弁なその傷が、信じていたと語りかけている。

眼前には、夜明けの光に照らされながら腕組みをして待つ幼馴染。

迷いの消えたその表情で、一歩二歩と駆けていく。

寄せては返す波の音。

力強く砂浜を踏みつけてーー

 

瞬間、照明が意識をステージへと引き戻す。

力強くも明るい音が連なり、チアリーディング風の衣装に身を包んだAqoursが激しく踊り出した。

立ち並ぶ壁を叩き壊す暴威の波浪。

MIRACLE WAVEのお出ましだ。

 

(”跳ぶ”ーー間違いなく、あの人はこの曲で”跳ぶ”ーー!)

 

はっきり言って、幕間映像の辺りから気が気じゃなかった。

伊波杏樹という人間が、ここで”跳ぶ”人間であることは分かっていたーーいや、そう信仰していたという方が正確だろうか。

とにかく、”跳ぶ”ということは既に僕の中では疑いようもない事実だった。

何故ってそもそもこれはラブライブだ。

壁にぶつかり、壁を超え、時に挫折すら真っ直ぐに映し出し。

そこに大切な意味を持たせ物語を形成するこのコンテンツで、”跳ばない”なんて半端な判断を下すとは思えなかった。

 

また、仮に”跳ばない”選択肢があったとして、伊波杏樹がそれを選ぶ訳が無い。

高海千歌が跳んだのに自分が跳ばないなど、悔しいなんてものではないだろう。

彼女は、高海千歌の相棒であり同時に最大のライバルなのだから。

だからこそ、気が気じゃない。

跳んで、その勇気や熱量を見せて欲しいし、自分を超えた勝利の感覚に酔い痴れて欲しい。

でも、怪我はして欲しくない、万一のことがあったらと思うと震えてしまう。

 

だが、彼女は僕が想像する恐怖や不安と比べ物にならない大きさのそれと、与り知らないところで格闘していたに違いない。

覚悟を決めて戦いに赴く人間に、半端な心遣いなど却って無礼。

であれば、僕に出来ることなど1つだけ。

ただ、信じてその姿を見届けること。

これこそが、壁に挑みかかる者へ払える最大の敬意だ。

 

Aメロが終わりに近付く。

滑らかに連なるドルフィンの波を背に、いつもより硬質な笑顔で歌うあの人。

ブレードを握る手は、いつの間にか固く握り締められていた。

 

ーー来る。

 

 

 

永遠に感じられる一瞬の後、彼女の身体が大きく回る。

頭が下に、脚が上に。

次の瞬間には、大事無く着地した彼女の姿。

 

始まってしまえばそれは余りにも一瞬。

理解が追い付いていない僕の頭は堪らず処理落ちを起こした。

それでも、目の前の光景を見逃すまいと鈍い頭で一生懸命思考を回す。

 

(あれ? 確かーー)

 

確か、もうひと工程あったような。

失敗? いやあの表情でそれはない。

安全のために削った? それも考えにくい。

だったらーー

 

混乱する頭でそこまで考えてた頃合いだった。

 

目の前で、あの人の身体が宙に浮かんだ。

 

背中の方向へ、頭を中心に一回り。

 

妙にスローに感じるそれは、今まで見たどんな光景よりも眩しくて。

 

その眩しさが流れ込んでくる感覚を感じ、脳が揺れる。

 

直後、僕の目に映ったのは無事に着地している彼女の姿。

 

何拍か遅れて理解する。

 

ーー”跳んだ”んだ。

 

 

 

「うわああああああぁぁぁっはははははははあぁぁぁぁぁぁああぁぁぁぁぁぁああああああああッ!!」

 

果たして、至近距離で聞こえたその音が自分の声だったのかどうか自信がない。

ただ、その時僕が感情に任せて何かしらの声を出していたのは確かだ。

ごった返す感情は分類する前に口から飛び出して、笑っているのか叫んでいるのか泣いているのか、もう訳が分からなかった。

みかん色に点灯したブレードを振り上げながら、未分類の感情を吐き出して喚いていた。

ーー左側から聞こえる声はもう、随分と熱くなっていた。

 

 

 

激し過ぎる感情に打ちのめされた精神に、子安先生の脚本が染み渡る。

打って変わって呑気に茶番を繰り広げるAqoursの姿を見ながら手早く精神をチューニング。

まだ灰になるには早い。

信じ難いことにまだライブは前半戦なのだから。

 

休憩後、先ほどとは打って変わってリラックスした様子でステージを楽しむ伊波さんの『One More Sunshine Story』を皮切りにソロ楽曲パートが始まった。

四者四様の衣装やパフォーマンスで繰り広げられるそれは、全く方向性の違う個性の連合軍であるAqoursの”らしさ”が存分に発揮されていたように感じる。

様々な経験を経て地力をつけた彼女たちは、組んでもソロでも強みを発揮することができるようになった訳だ。

 

ソロパートを抜け、9人での『空も心も晴れるから』、最早定番の『SKY JOURNEY』、そして名刺代わりと言っても過言ではない『恋になりたいAQUARIUM』が立て続けに披露されていく。

こういった定番曲はAqoursの成長を肌で感じられるから好きだ。

場所を変え時を変え、繰り返し触れることで曲自体に結び付けられる記憶が増える。

そうやって曲はその人の中で姿を変えていくのだろう。

使い込んだ革に独特の表情や味のある色落ちが表れるように。

 

再び幕間映像が挟まる。

スクリーンに映る物語も後半戦。

函館で花開いた紅玉の勇気が起こした奇跡は、今まさにセンターステージにて顕現を果たす。

 

黒澤ルビィの勇気が繋いだ絆。

遠く離れたライバル同士の夢の共演。

清らかなソリから始まり、弾けるようなアップテンポで畳み掛ける11人掛りの必殺技。

『Awaken the power』が会場に白熱をばら撒く。

 

ある程度予想はしていたが、こんなに盛り上がるとは知らなかった。

コールを打ち、掛け声を一緒に叫ぶ。

ライブの基本的な楽しさを忠実に突き詰めたようなこの曲は、その時点で身体に残っていた体力を根こそぎ奪い去っていった。

 

曲の後、場を繋ぐ為にステージに残ったSaint Snowの2人が元気にMCを繰り広げ、それにみんなが声援や笑いを返す様を見ていると感慨深い。

アニメ1期の頃は、Saint Snowの2人がみんなに受け入れられて挙句会場で歓声に包まれているなんて想像すら出来なかった。

センターステージで楽しそうにMCをする2人を見ていると自然と笑みがこぼれる。

間違いなく、Saint Snowは救われたのだと確信できる光景だった。

 

MCが終わるり、スクリーンに再び物語が流れ始める。

映される物語はもう終盤で、ライブも大詰めである事を理解する。

特別目を引くのは、決勝直前にそれぞれの「勝ちたい」気持ちに決着を着け決勝へと向かうAqoursの姿だった。

 

思い出す。

2期12話が放映されていたこの頃、僕は丁度病休に入った所だった。

休みに入り緊張の糸が解けた僕は、それまでのように画面に映るAqoursに感情移入出来ずにいた。

それはある種当然のことで、休んでいる間は戦っていないからだろう。

Aqoursの物語は、基本的に何かに立ち向かう者や前へ走り続ける者の物語だ。

病休という、停滞そのものな状態に入ってしまった僕には決勝へと向かうAqoursの姿は眩し過ぎて、僕はその光景を眺めることしか出来なかった。

 

勿論、だから休まず仕事を続ければ良かったなどとは思っていない。むしろ遅過ぎた位だししっかり休むべきだったと今でも思っている。

でも、最後の最後でAqoursに置いて行かれてしまうような感覚があって、それはどうしようもなく寂しかったし悔しかった。

だから、その時誓った。

休みを終え、心が回復したら、絶対に前を向いて走ると。

そして、必ずこの瞬間のAqoursに”合流”すると。

 

目の前の光景を見る。

9通りの「勝ちたい」という純粋な欲に従いAqoursは走る。

もう、あの頃の疎外感は存在しない。

昨年、泥の中を諦めず駆け抜けた日々と同じ、いやそれ以上の熱がこの胸に滾っている。

当然、僕だって「勝ちたい」。

ようやく復帰したこの環境で、今度こそ僕が出来る奴だと見せつけてやりたい。

そうして、あの日僕を貶めた連中の鼻を明かしてやる。

そうして、Aqoursから受け取った熱を証明する。

そうして、これまでの全ての時間を肯定する。

その為に、僕は「勝ちたい」んだ。

 

放っておけば心を蝕んでいく無彩色の現実に、ちっぽけな夢で色彩を叩きつけて。

僕は僕の世界に勝って見せる。

だから。

 

カウントアップが始まる。

まるで青空を自由に飛んでいるようなカット。

1から始まるその光景に、自分のありったけの感情を飛ばす。

漸くだ。

今の僕の心なら飛べる。

彼女達と同じく、青空を身軽に舞って。

 

「ーーーー10!!」

 

僕はそこに”合流”した。

きっともう既にたくさんの10人目が立っているであろうその地点に、漸く。

 

清々しい気分でその光景を見る。自分の感情が物語と齟齬なく動いているのが分かる。

あらゆる心の束縛を解き放ち、自由な翼を広げた渡り鳥たちが円陣を組む。

1からその先へ、と曇りなき表情で未来を語るその表情は熱く眩く。

 

 

f:id:Tsukimi334:20190526052511j:plain
 『サーンシャイーン!!』 

 

一際力強い掛け声とともに、彼女達は最終決戦へと飛翔する。

その掛け声に自分の声を重ねる。

たくさんのそんな声が重なり、一際強い掛け声がドームを満たす。

ステージを見れば、蒼い照明に雲海の如きスモーク。

万感の想いでその光景を心に刻む。

 

ーー僕は漸く、WATER BLUE NEW WORLDに合流できたのだ。

 

 

 

 

 

✨✨✨✨✨✨✨✨✨

 

 

 

 

 

夜。

布団の中で微睡みながら、凄いライブだったと改めて振り返る。

あの後、12.5話に相当するアニメーション映像が流れて、そのパワーを全部乗せた『青空Jumping Heart』が叩き込まれて。

アンコールの声に応えて『Landing action Yeah!!』が飛び出し、その後『勇気はどこに? 君の胸に!』『WONDERFUL STORIES』という流れで綺麗に幕は下りた。

 

帰りに土砂降りの雨に降られたのは不幸だったが、それでも冷やし切れないくらい莫大な熱が自分の身体を循環しているのが分かる。

気のせいだろうが少し身体が火照っているような気さえした。

これが明日も観れるという幸福を感じて頰が緩む。

なんとも嬉しい感覚だった。

 

嬉しいといえば、もう一つ印象的だった出来事を思い出す。

隣に座っていた人のことだ。

 

MIRACLE WAVEの後、彼は(それどころかその友人の適合者でさえも)伊波さんの姿を見て「すげぇ」「いや、アレはマジで凄い」と興奮気味に話していた。

その頃から、あまり温度差を感じなくなったように思う。

更に決定的だったのは、多くの人が沸いたであろう、東京ドームでの4thライブ開催の知らせの時だ。

隣の人は、「どうしよう」と言っていた。どこか嬉しい悩みといった感じで。

その「どうしよう」からは、もう「行きたい」という気持ちが溢れ出ているように感じた。

少なくとも、開演前の彼のテンションではなかった。

 

実際のところ、彼があの後どうなったのかは分からない。

また熱が戻って今もAqoursを応援しているのかも知れないし、結局熱は戻りきらず別のジャンルに移動したのかも知れない。

ただ、本気のパフォーマンスが誰かの気持ちをほんの少しでも動かせるということが分かって、僕はそれが凄く嬉しかった。

Aqoursが、誇らしかった。

 

そんなことを振り返りつつ、僕は眠気に任せて意識を手放した。

少しでも寝ておいた方がいい。

 

何せ、明日が正念場なのだから。

 

 

 

 

 

🌕✨

 

 

 

 

  

朝が来た。

少し遅めの朝食を食べ、荷物をまとめて出発する。

次に床につくのは明日の夜の自宅だ。

 

池袋に立ち寄って期間限定のグッズを購入したり、軽食を取ったりしている内に程よい時間になっていることに気付く。

池袋駅から西武球場前駅へ向かう電車に乗り、再び会場へと向かった。

電車の中でTwitterを眺めていると、誰かが「アンコールの際に”Aqours”コールをしよう」という主旨の呼びかけを行っているツイートが目に入った。

考えてみれば、2期11話で実際に行われた訳だしライブで我々ファンがやるのは良いアイディアに感じる。

 

ただ、そう上手く行くだろうかとつい思ってしまう。

少し調べてみた感じ、昨日のアンコール時にもやっていた人はいたらしいが少なくとも自分の周りにはそれを行っている人はいなかった。

ただ、正直少しやってみたい気持ちが心に生まれる。

思案した結果、周辺でやっている人が少しでもいたら便乗することに決めて雨雲に覆われたメットライフドームへと向かった。

 

2日目の座席はアリーナ席。

それも、センターステージがかなり近い座席だった。

こんな幸運、もう2度とないと思った方が良いだろう。

一瞬たりとも見逃すものかと決意する。

一先ず帰りの行程は頭から外し、ただただこの瞬間を心に刻み込むべく集中する。

 

照明が落ち、2日目の幕が上がる。

五感の全てを研ぎ澄まし、何もかもを感じ取れるようにと感情を高めて。

再び、ライブが始まった。

 

 

 

ライブは、1日目と2日目ではまるで違ったものになる。

同じ曲でも、2日目は慣れなのか成長なのか、とにかく一気に上手くなっているように感じる。

加えて、ここはセンターステージ付近のアリーナ席。

場面によっては肉眼ではっきりとキャストの姿を見ることの出来る席だからこそ、表情や振り付けの細部を感じることが出来た。

 

無我夢中でAqoursを見つめ、声を上げ、身体を動かしてーー気付けば、アンコールの時間になっていた。

普段は割とすぐにアンコールに参加する方だが、この日は少しだけ様子を伺っていた。

例のAqoursコールをする人が居そうかどうかを判断する為だ。

声が上がり始めて暫くの間は、「アンコール」という人が殆どだった。

まあそんなものか、と自分も通常通りアンコールに参加しようとしたその時。

 

「アークーアー! アークーアー!」

 

聴こえた。

少し後ろ、でも決して遠くない距離から、恐らく2、3人程。

Aqoursコールをしている人が、いた。

 

それを聴いた瞬間、少し冷め始めていた自分の心に強烈な熱が走るのを感じた。

度数の高いアルコールを流し込んだように全身が熱くなり、気付けば大声で叫んでいた。

 

「アークーアー! アークーアー!」

 

リズム感が欠如しているのは自覚している。

だから、極力後ろから聴こえる声に合わせるように、アンコールと言っている声に引っ張られないように、意識を集中させながら声には熱を存分に乗せて。

 

(ああ、あの時Aqoursコールをしてたむっちゃん達もこんな気持ちだったのかもな)

 

恥ずかしいとか、後ろ指を指されたくないとか、そんなことを置き去りにしてしまうくらいの気持ち。

 

ありがとうって言いたいんだ。

貴女達のことが誇らしいんだ。

ちっぽけな自分に出せるものを全部使って、全身全霊で讃えたいんだ。

 

だから。

 

『アークーアー! アークーアー!』

 

もう、”何人かいる”なんてものじゃない。

気付けばもう、そこら中がAqoursコールに染まっていた。

色んな人の気持ちが響きあって、Aqoursの名を呼んでいた。

熱いものが込み上げてくる。

悪くないアイディアだとは思っていたけど、こんなに胸に来るものだとは思わなかった。

 

響きあう声に呼応するように、再度Aqoursが現れる。

アンコール1曲目は昨日と同じく『Landing action Yeah!!』。

ただ、昨日とは少し意味合いが違って聴こえる。

 

遠くから聞こえたよ ここにおいでって

待ってるだけじゃ伝わらない だから…来たのさ!

 

一体何度、歌詞に未来予知をされただろう。

まるで見通していたかのような歌詞は、改めて僕に突き刺さった。

 

 

 

 

終演後、僕はアリーナ席のパイプ椅子で脱力状態になっていた。

隣の友人と話したり、銀テープのおすそ分けをしてくれた近くの席の人と話したり。

しかし、中々退場の順番は回ってこない。

胸の内に生じる焦りを抑えつつ、呼ばれるのを待つ。

自分達のいるブロックが呼ばれたのは、もう会場の半数以上が退場した後だった。

 

走りにならないギリギリの速さで会場を抜ける。

1日目の教訓を活かし、早くから列の左端に寄って前へと進む。

右側はどの道混雑して流れなくなってしまうので、最初から左端を攻めるべきだと昨日痛感した。

何とか逸れずに友人と2人で駅の改札を抜け、急ぎ足で目当ての電車を探す。

電車の車両も改札寄りの車両は絶対に混んでいることが分かりきっていた為、一気に改札から一番遠い方の車両を目指して歩く。

暫く歩いたところで乗る余裕のありそうな車両を見つけ、迷わずそれに飛び乗った。

無事に電車に乗れたことを実感し、思わずハイタッチをする。

これで、電車のトラブルが発生しなければ間に合う筈だ。

 

暫くして電車は動き始め、大事なく時間通りに動いてくれた。

僕と友人は無事に乗り換えを行い、昨日の朝夜行バスから降りて最初に入った駅へと戻って来ることに成功した。

時間に少し余裕があったので、夕食兼明日の朝食を駅構内のコンビニで買い込む。

外は雨なので、少し駅の中で時間を調整してから夜行バスの停留所へと向かった。

 

雨の中を黙々と歩き、僕達は遂に停留所に辿り着く。

道路の上に橋が渡されているお陰で、有難いことに雨宿りには困らなかった。

都合よく近くに置かれているベンチに荷物を置き、体を伸ばす。

やっと一安心出来た。

後は、ちゃんとバスに乗って帰るだけ。

会場から中々抜け出せなかった時はどうなるかと思ったが、やろうと思えばやれるものだ。

 

バスが来るまでの間、暫く静かな時間が続く。

到着した当初こそテンションに任せて喋っていたが、お互い流石に疲れが出ていた。

夜の街並みに雨が降り注ぐ。

アスファルトを打つその音が、何だか今は心地良かった。

 

 

 

待つこと10数分。

予定通りの時刻に夜行バスは到着する。

行きと同じく予約画面を見せて搭乗し、席に着く。

エンジンの振動を感じると同時にバスは動き出し、金沢へと僕を運ぶ。

そう、2期3話で言うところのトロッコの役割を果たすのがこのバスだ。

もっとも、ブレーキ破損して暴走するみかんトロッコに比べれば穏やかなものだけど。

 

バスはやがて高速に入り、夜の中を走って行く。

車体から伝わる振動を感じながら、僕は目を瞑ってこのライブのことを思い返していた。

受け取った熱が熱くて眠れそうにない。

今の僕は、信じられないことに早く仕事に行きたいとすら思っていた。

とにかく、この熱を思いっきりどこかにぶつけたかった。

何かに、全力を出したい気持ちが滾っていた。

 

去年の僕は、ライブが終わると帰りたくない気持ちに苛まれていた。

出勤すればすぐに受け取った熱を奪われて、そんな自分の情けなさに悲嘆していた。

でも、今僕は仕事をやりたいとすら考えている。

この熱でできる限り遠くへと走る心算でいる。

ライブの先にある日常が、楽しみで仕方なくなっている。

 

これが、奇跡でなくて何だと言うのだろう。

 

僕は間違いなくあの地獄を潜り抜け、自分の病気にも決着をつけて見せたんだ。

これから漸く、僕は全力でAqoursの背中を追って走ることが出来るんだ。

既にずっと先を走っているであろう10人目の先輩達に、追いつけるかも知れない燃料を手に入れたんだ。

 

熱に酔ってか、そんな青臭い思考が湧いて来る。

でも、それも何だか悪い感じではなくて。

OSTを聴きながらバスに揺られる。

イヤホンの外からたまに聞こえる外の音は、穏やかな夜の味がした。

 

 

 

 

  

🌃🚌✨

 

 

 

 

 

気付くと、少し眠っていたらしい。

窓の外はもう白んでいる。

暫く呆けていると、金沢駅に到着するとのアナウンスが入った。

手早く荷物をまとめ、友人に預ける分と職場まで持って行く分とに分けてバスから降りる。

 

まだ早朝の金沢駅で、荷物を預けた友人と別れる。

別にただ朝早くの光景というだけで何の変哲もない金沢駅が、今は何故だか特別な景色に見えてつい写真を撮った。

タクシー乗り場に目をやれば、既に待機中のタクシーの姿がある。

迷わず飛び乗り、会社の場所を伝えて出発した。

 

早朝だからか道は空いており、思ったより早く会社に到着した。

運転手さんに一言礼を言い、まだ人気のない会社の構内を歩く。

ああ、成功したんだと漸く実感出来た。

 

時間は結構余裕があって、その気になればロッカーの中身を持って一旦社員寮に戻ることも出来そうではあった。

ただ、それだと緊張が解けて部屋で寝てしまいそうなのでやめた。

後は単純に、今は何だか帰りたくない気分だった。

 

自販機でコーヒーを買い、ロッカールームに入る。

早めの時間に着いたお陰で人はいない。

下にライブTシャツを着たままだったので、人がいないのは有難い。

誰か来る前に、と手早く服を着替える。

自分で設置したのだから当たり前なのだが、ロッカーを開けたらちゃんと着替えと制服が待っている事実が妙に面白かった。

 

当初の予定では、ロッカールームの隅にある仮眠スペースで少し眠る予定だった。

しかし目が冴えてしまってちっとも眠れる気がしない。

じゃあもういっそ普通に出勤してデスクで昨晩買った朝食を食べるとしようか、と考える。

デスクで寝てる分には遅刻の危険性はなくなる訳だし、こんな朝早くに出るっていうのもちょっと面白そうだ。

 

脱いだ衣類をロッカーに置き、軽い足取りで職場へと向かう。

虹行程は成功した。

僕は無事に、どちらも手にすることが出来た訳だ。

思わず『WONDERFUL STORIES』を鼻歌で歌ってしまうくらいには上機嫌だった。

 

(ああ、でも虹は流石に掛からなかったな)

 

当然といえば当然だが、そこまで都合良くは行かないものだ。

雨こそ降っていないが、本日の石川はいつも通りの曇天。

早朝なこともあって薄暗い。

 

(そう、虹どころか太陽もロクに見えないくらい曇ってーー)

 

ふと、右側の視界がやけに明るくなったのを感じた。

ハッとして右側の空を見る。

 

 

 

急に雲が薄れて、朝の日差しがこちらに降り注いでいた。

 

 

 

分かってる。

こんなのはただの自然現象で、雲にムラがあっただけ。

偶然、ほんの偶然で今このタイミングで陽光が差し込んだだけ。

分かってる、だけど。

 

その太陽が、僕を祝福してくれている気がして。

 

目を細めながら、僕は天を仰いだ。

 

ありがとね、と心の中で呟いて。

 

 

 

ーー今日は、いい日になりそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

           ☁️☁️☁️ 
         ☁️☁️🌤✨☁️
           ☁️☁️☁️

 

 

  

引用

遠くへ 遠くへ 声が届くように トリスのメモ帳(45)
URL:http://torys.hatenablog.jp/entry/0to1/1to_

Landing action Yeah!! - 作詞:畑亜貴