月の裏側

行き場を無くした思考の末路

惹かれたのは、輝き

 

こんばんは、月見です。

 

最初は何の記事を書こうか、と色々題材を考えていたのですが、そもそもブログを始めようと思ったきっかけについて殆ど語っていないことに気付きました。

そんなもの単にやりたかったからでしょ?と言われれば確かにそうなのですが、そうなるまでに実は色々と面倒な回り道をしておりまして。

ここに至るまでの1年と少しの期間。溜め込んでいた気持ちをここに吐き出してしまおうと思います。

 

以下、ひたすら自分語りになります。ご容赦ください。

 

 

 

 

 

Aqoursに救われた病人の話 

僕は、昨年5月から精神病を患っていました。

”軽度のうつ状態”ーー世間で言うところのうつ病の手前の症状。

ドクター曰く「風邪のようなもの」で、彼らの立場からすれば見飽きるほど患者が存在する病気だそうです。

その後、「もちろん、当事者の君にとってはたまったものではないだろうけどね」と彼は付け加えました。

 

ええ。たまったものではありませんでした。

自分の呻き声で目が覚めたり。

デスクに近づくだけで内臓がささくれ立つような不快感に襲われたり。

ただ立っているだけでも激しく疲労して、急に首を絞められたみたいに息ができなくなったこともありました。

 

後は、被害妄想。

誰かが談笑しているのを聞くと、反射的に自分の失態を嘲笑っているように思え、どんな会話の結果その笑いが起きたのかを詳細に想像してしまうことが常でした。

 

原因は、職場での孤立です。

配置された職場に、致命的な相性の悪さの同期と一緒に配属されました。

その部署は人数が極めて少なく、新人もすぐに仕事を覚えて単独で業務を行えるようにならなくてはいけませんでした。

 

僕はとても要領が悪く、一方で同期はとても要領が良かったようです。

どんどん仕事が出来るようになる同期に対し、僕は手が遅く物覚えも悪い”役立たず”でした。

 

居心地の悪さを感じる中で、僕は5月頃に大きな失態をしてしまいます。

その事態を起こしてしまったことに対する自責で心が軋んでいるところに、同期からかけられた言葉が突き刺さり、それ以降ずっと心が苦しくて職場にいるだけで激しく疲労するようになりました。

 

振り返ってみればまさにその時病気を発症したわけで、そのまますぐに病院へ行くのが本当は正解でした。

しかし、当時の自分には精神病という発想はちっとも浮かんでこなくて、「仕事ができない自分が悪いんだ」「コミュニケーションをとれない自分に問題があるんだ」と思いながら仕事を続けていました。

 

どんどん感性が死んでいって、大好きだったゲームをやる気力も失せ、何を聞いても、何を読んでもどこか遠いところのように感じてしまい、全く響かなくなってしまいました。

 

当然、そんな状態で仕事を続ければ、精神にも肉体にも限界が来ます。

 

あれは、確か初夏の頃。

暑さと精神的な辛さを耐えながら会社構内を歩いていて、不意に身体の力がすっ、と抜けていく感覚を覚えました。

 

「あっ、これは倒れるな」とぼんやり考えました。

恐らく、休息を欲しているのに休むどころかストレスの原因の真っ只中で仕事をしていたせいで心身が限界を迎え、PCで言うところの強制終了をしようとしたのだと思います。

 

自分がアスファルトにうつ伏せに横たわる感覚が妙にリアルに想像できて。

その瞬間はそうやってその場に倒れこむことが最も合理的な、推奨される行動のように思えてしまいました。

 

心の一部がダメだと叫んでも、大事な支柱が折れてしまったような、どうしようもない感覚が全身にあって。

 

倒れる、と諦めたその瞬間。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

君はなんども立ち上がれるかい?

 

声が、聞こえました。

 

 

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冗談じゃない、と思いました。こちらは必死に立ち続けて今まさに折れた所であって、そもそもまだ倒れている最中だというのに。何という、愚問。

勿論答えは”No”です。いえ、そもそも答える余裕はないので、無言の否定です。

 

 

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胸に手をあて


でも、声はどこまでも残酷で、身勝手で、強引でした。

答えなんて聞いていなかったのです。

自分から質問しておきながら。返事も待たずに立ち上がる方法を伝えてきました。 

 

 

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”Yes!!”と笑うんだよ

 

気付けば、制服の胸の辺りを鷲掴みして、無理やり口角を上げている自分がいました。

 

体は倒れず持ち堪え、とにかく今日一日を無事に終わらせよう、という気持ちが少しだけ生まれます。

 

”何度も”という事は、また倒れそうになってももう一度立てば良いということ。

何度倒れたって良いのなら。何度だって今みたいに立ち上がればいいのなら。この状況下でも何とかやれそうな気がして。

 

そこでようやく理解しました。

 

立ち上がれるか、という問いは、折れた心に向けたものだったのだと。

あのままもう数秒折れたままだったら、きっと倒れ込んで余計な騒ぎを起こす羽目になっていたでしょう。それ以上に、倒れる所まで行ってしまったらもっと致命的な精神状態になっていたかも知れません。

 

その瞬間を察知して、歌が駆けつけてくれた。

 

それが嬉しくて、嬉しくて。

ただただ全身が、Aqoursに感謝していました。

 

僕の中で、Aqoursが”特別”になった瞬間です。

 

 

 

 

 

🌒

 

 

 

 

 

軽度のうつ状態における精神状態は、僕のイメージでは”泥の中”です。

 

暗い地の底で、冷たく濁った泥にまみれている感覚。

天上にいる人たちの声は遠く、体を覆う泥のせいで曖昧にしか聞こえない。

 

なのに、Aqoursの声は何故だか良く聞こえました。

 

彼女たちの声だけは、遠く高い所からではなく目の前から聞こえるような感覚がありました。声の行方を探して上の方を見ていたら、肩を叩かれてすぐそこにいることに気づくような感覚。

 

泥まみれの真っ暗な僕の視界には、Aqoursだけが色づいて見えていて、その背中を追うようにして先の見えない日々を前進して行きました。

 

毎月の生放送やイベントでの生配信で楽しげに話すメンバーを見れば、どんな時でも少しだけ笑顔になれました。

 

連休を見つけて沼津に行けば、暖かな自然と人が心の温度を分け与えてくれました。

 

そうやって、Aqoursと沼津を目的とした短いスパンを必死に生きることで、日々を生き抜いていました。

 

 

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そんな中、2ndライブツアーが開幕します。 

 

僕は友人のS氏(就職してから出会った古参ライバー)と連番を組み、名古屋Day2と埼玉両日の現地参戦が決まっていました。

 

1stは両日LVだった為、名古屋Day2が初の現地参戦となります。当然、とても楽しみにしていましたが、現地参戦をしたことが無かったためいまいち実感が湧きませんでした。

 

しかもよりによって、その前日の金曜日は直近2,3週間の間の中でも特別嫌な思いをした日だったので、「明日はできれば寝てたかったなあ」という気持ちも少しありました。

 

 

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当然、そんな気持ちは実際のライブに触れたら跡形もなく消し飛びました。

 

初めて現地参加したAqoursのライブの熱量は本当に凄まじく、心に蓄積している澱がまとめて焼き払われていくようでした。

 

開幕の映像から繋がるようにしてHAPPY PARTY TRAINが飛び出た辺りで既に職場における自分は居なくなり、全力でコールし、腕を振り、笑っている自分がいました。

太陽を追いかけろ!を聞く頃には明日からも頑張ろう、という気持ちにすらなっていて、Aqoursのライブの凄さを思い知りました。

 

もっとも、その翌日の月曜日にはそれまでよりももっと嫌なことが立て続けに起こり、また一気に心は冷えてしまうのですが、それでも熱を受け取った記憶までは消えません。次のライブまで死ぬもんか、と思って今までより少しマシな足取りで日々を走れるようになりました。

 

 

そうして埼玉まで走り切った2ndツアーの直後、テレビアニメ2期が始まって。

埼玉公演の最中に考察ブログや感想ブログに出会い、アニメ2期に向けた期待を1期の頃以上にしていた僕は、大いに期待を抱いてアニメ2期に臨みました。

 

第1話。

 

 

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彼女は、”足掻く”と言いました。

残酷な運命に相対し、「まだ何もやってない」と。「出来ることを全てやろう」と。

 

到底、他人事とは思えませんでした。

この現状を何とかしたくて、でもどうすればいいか分からなくて、とにかく手のつけられそうなことから手当たり次第に取り組んでいた当時の僕には。

 

それらの行為は所詮ただの悪足掻きに過ぎず、そんなことをしても先なんて見えないと、心のどこかで思っていました。

 

でも。あのAqoursが、あの日駆け付けてくれたAqoursが、同じように先の見えない道を足掻こうとしているのなら。

 

見せて欲しい、教えて欲しい。

 

 

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あの日、”何度でも立ち上がる方法”を教えてくれたように。

 

 

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こちらを振り返らなくても良いから、その背中を追わせて欲しい。

 

小さくも頼もしいその背中を道標として、はるか後ろから覚束ない足取りで出来得る限り走ってみよう。

不恰好だろうけど。別に構わないじゃないか、”足掻く”んだから。

泥まみれで、無様に意地汚く運命に食らい付いてやれば良い。

 

そんな風に考えるようになりました。

 

 

 

 

 

🌓

 

 

 

 

 

そうして走り始めた秋。今まで以上に辛いこともありましたが、夏の頃よりも意識ははっきりしていました。

もう、ただ日々を耐える戦いではなく、現状を維持しつつどうにかして部署を抜け出す戦いに意識が変わったからです。

 

自分を守るための戦いは、不思議と士気が上がりません。でも、この頃から僕は、「こんな連中の言葉ごときで逃げ出してしまったら、Aqoursから熱を受け取った人間として示しがつかない」と考えるようになりました。

 

日々のストレスとの格闘も「自分を守るための戦い」ではなく「Aqoursから受け取った熱の価値を証明するための戦い」にシフトしました。

 

そうして戦う日々の中で、Aqoursは何度も輝く姿を見せてくれました。

 

 

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選択肢を敢えて選ばず、どちらとももぎ取って。

 

 

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危険と言われた賭けに、正面から「できる!」を叩きつけ。

 

 

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愛する学校の死を受け入れ、その名を刻む決意を固め。

 

 

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”最後”を掻き消し、ライバルにすら手を差し伸べて。

 

 

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青く染まった羽で世界を覆い、輝く世界を刻み込み。

  

 

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ずっと探し求めた輝きを、遂にその軌跡に見出した。

 

 

その姿に何度勇気を貰ったでしょう。

何度泥にまみれ、言葉で心を冷やされても。

その姿を見るだけで、たちまち熱が舞い戻る。

 

そうやって走り抜け、結局12月にある出来事をきっかけに病院に行き、病気が発覚。

治療として2ヶ月休職し、部署を変更して、今はこうして普通に生きています。

 

過言ではなく、Aqoursは僕の命の恩人だったのです。

 

 

 

”好き”を捨てずに済んだのは

さて、こうしてAqoursの背中を追うに当たって一つ問題がありました。

 

「否定の声」です。

 

例えばアニメを見て、感動を共有したり他の人の考察を見たくなったとき、調べる過程で必然的に否定する人の声が目に入ります。

 

 

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大好きな2期5話を「同人以下」「中身のない無駄な話」と切り捨てる声。

 

 

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心底感動した2期7話を「茶番」「真面目に作れ」と責める声。

 

普段であれば、そういった声に対しては心の中で反論をするなり何なりして折り合いをつけます。

しかし、病気で抵抗力の弱った精神ではそうも行きません。反論が思いつかず、挙句それらの意見が正しく聞こえてしまいます。

 

自分の唯一の支えであるAqoursを否定されれば、自分を害されるよりも痛いし苦しい。だけどその声が正しく聞こえてしまう。

 

これが中々キツかったです。こうなると、手早く楽になる為にAqoursを好きでいることをやめたくなってきます。

でも本心は逆な訳で、二律背反で苦しむことになります。

 

 

そんな時。

”好き”を捨てずに済んだのは、ブログとTwitterのお陰でした。

 

毎週上がる感想記事を、放送直後の感想ツイートを、方々から上がる非難の声に毅然と反論するツイートを、何度も読みました。

 

そうすることで、最初にその話数を見たときに感じた「この話好きだな」という感覚を取り戻したり、反論したいけど言葉にならないもどかしい気持ちを形作ったりすることができました。

 

 

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これは、Aqoursの9人では絶対に出来ないことでした。

 

光源は自身の発する光を観測できません。

その光を観測して「良いものだ」と評するのは、光源を見ていて、尚且つ肯定的な思考を持つ者ーーつまり、ファンとして、視聴者としてAqoursを見、考え、肯定している10人目の”みんな”でなくては不可能です。

 

先程僕は、Aqoursの背中を追いかけて走ったと言いましたが、あれは少し説明不足です。

 

僕は、簡単に壊れる心を10人目の言葉で繋ぎ止め、そこにAqoursから受け取った熱を注ぎ込んで、道を走ったのです。

 

だから、ブログを書く人やツイートで意見を表明する人の1人1人が、僕にとってはAqoursと同じくらい掛け替えのない存在でした。

 

一番苦しいときに肩を貸してくれる友人のような。

ピンチに駆けつけてくれるヒーローのような。

 

そんな風に勝手に思っていました。

 

それ故に、そんな人達のことを”画面の向こう側の人”と思い、無意識に線引きしている自分がいました。

 

あの人達はすごい人だから、ああいう風に意見をまとめて表現できるのだと。

 

 

 

 

 

🌔

 

 

 

 

 

もう一歩、前へ進みたくなって

それでもやっぱり、眺めていると欲が生まれてきてしまいます。 

 

眺めるだけじゃなくて、話しかけてみたい。

 

もし叶うなら、会って話をしてみたい。

 

更にもう少し、欲を張るなら。

 

僕も一度でいいから何か書いてみたい。

 

病気の最中は、心が常に限界ギリギリだった為にそれらを始めるだけの気持ちの余裕がありませんでした。

 

でも、今年に入り治療を終えて、3rdツアー埼玉公演が始まる前。この企画を目にしたとき。

 

#もっと大きく夢を叫ぼうか

torys.hatenablog.jp

 

寄せられた記事たちを見て、また、リンクを貼った生春さんの記事を読んで、改めて思いました。

 

 

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やってみたい!

 

 

せめて、鍵のない、リアルの友人を気にせずに発言できるTwitterのアカウントが欲しい。

 

そうすれば、少なくとも”最大140文字のブログ”を上げられるようになるのだから。

 

とは言え、長いことROMとしてネットを漂っていた上に病気から立ち直ったばかりの僕には、すぐに実行する気力はなくて。

 

燻っていた想いを解き放ってくれたのは、3rd福岡Day1での伊波さんの言葉でした。

 

「みんなも一緒に輝くんだよ?」

「覚悟は出来てますか?もっとみんなで輝く準備できてますか?」

「一緒に輝いてくれるかい?」

「その言葉が私たちを何よりも、輝かせてくれます」

伊波杏樹

 

僕はこの時、大声で肯定の返事をしました。何でかやれる気がしたのです。

この後1ヶ月ほど、何もライブのない時期がある、動き始めるなら今が好機だ、と。

 

それから、とにかくやりたいと思っていたことに挑戦しようと動き始めました。

 

常に何かに挑戦する者こそAqoursであり、10人目であろうとする以上、常に何かに挑戦し続けるべきだと考えたからです。

そして、そうやって心が「やりたい!」と思うことへ向かって走って、時に足掻きながら何かを達成することこそが輝くことだと解釈したから。

 

まず、停滞してしまっていた趣味の楽器を今までとは違う形で再開しました。

 

これは、1stで鍵盤に向き合った逢田さんを見てからずっと燻っていたことなので、ようやく1stライブに決着が着いたような心地でした。

 

ほぼ同時期に、鍵のない”月見”という名のTwitterアカウントを作成しました。

 

そして、あの頃”画面の向こう”と線引きしていた人達の何人かと繋がることができました。

それだけでなく、Twitterを始めてから新たに知り合ったたくさんの人と繋がることもできました。

 

そうやって色々な人と繋がって今まで以上に色々な方の記事や発言を見る内に、「やっぱりブログを書いてみたい」という欲求がせり上がってきて。

それをふと呟いたら、背中を押してくれたフォロワーさんがいて。

 

 

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一度やってみようか、と思いました。

やってみてどうなるかは分かりませんが、どんな結果に辿り着こうとも、本気で走ったならその足跡が輝きを放つことを知ったから。

 

この一歩も、多少なりとも輝くとしたら。

そうやって輝きを放つこと自体がきっと、あの9人と9人の英雄達に対する恩返しになると、信じているから。

 

だから、拙い文章ですけど、マイペースにやってみようと思います。

 

さて、ひたすらに長いこの自分語りをここまで読んで下さった方がもしいたのなら、心の底から感謝致します。

お付き合いくださり、本当にありがとうございました。

 

 

新たにもう一歩踏み出せた今、僕はとても幸せな心地です。

あの頃の自分に教えてあげたいくらいに。

 

 

 

 

 

🌕

 

 

 引用ー「君のこころは輝いてるかい?」作詞:畑亜貴